音・岩・光

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30042015

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この日は蒸した。空は夏に変わってきている。

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by Tashinchu | 2015-04-30 14:00 | Photograph | Comments(0)

26042015

戦後70年が言われている。70年はある意味で100年よりも、如実に何かを仕切ってしまう年月を秘めているような気がしないでもない。100年は区切りがいいけれど100年を生きる人間はまだまだ少ない。100年の歴史をそのまま経験として持ちつつ伝えていくのは困難なことだと思うからで、寿命を考えた場合に還暦の60や平均寿命の70-80歳前後は実質的な(世代交代)期間にならないだろうかと思うことがあった。

ここで戦後70年を改めて感じてみると、戦争を知る世代が少なくなって来ているのは事実で、戦争体験をどのように伝えていくかが色々と社会を賑わす場面に遭遇する。他にも、

はだしのゲンの閲覧問題
東日本大震災と原発問題
特定秘密保護法
集団的自衛権(←この単語を作った人は相当頭が良いけれど、この単語はすこぶる嫌い!)
積極的平和主義
憲法解釈の変更・憲法改正
沖縄基地問題
従軍慰安婦

など、にわかに色んなことが変わろうというか動いているのが良く判る。これは多分70年が起因しているように思う。なんでさっきから70年70年といっているかというと、また面白い偶然的数字を見つけてしまったからだ。まぁ既に知っているというか当たり前のことなのかもしれないけれど。

戦中戦後を1940年代とすると、そこから70年を遡った西暦は1870年代となる。大学センター試験で日本史を選択していた人(以外でもだけど)なら直ぐ気付くだろう1870年代の日本、それは幕末~明治維新の時代である。明治から終戦までと終戦から現在までがほぼ同じ年月というところに驚く。江戸時代を知る人が少なくなって戦争に突入していったと考えるのは強引過ぎるけれど、戦争を知る世代が少なくなってまた同じように大きな変化が起きているような感じがしないでもない。そんなことを感じながら市議会議員選挙の投票を済ませてきた。

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投票所の学校にある花壇で足をとめる



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by Tashinchu | 2015-04-26 11:30 | MISC. | Comments(0)

20042015

いよいよ箱開けが始まった。治具を使ってニカワをきれいに剥ぎながら丁寧にそして慎重に開けていく。運良くニカワの濃さは適正だったようですんなりと開いてくれた。それでも横板へ残ってしまった表板の材は、これまた丁寧に元の位置へ戻していく。この作業はジグソーパズルのようで面白い(本来はなるべくそうならないように剥がすのだけれど)。
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お次は割れの修理へ。ブロック材を使って割れを元に戻していく。シンプルながら理に適った方法で、上手いこと考えているなと感心してしまう。仮留めでクランプと楔を絶妙にセッティングしてシミュレーションをした後、本留めに入る。
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光を当ててみても割れているところが判らないくらいになるのがBest。割れたまま放ったらかしにしてしまうと汚れや隙間が出来てしまうので、割れたら無理に触らずに直ぐ職人に依頼するのが良いだろう。写真なく自分の手持ちの楽器は、長い間放置されていた割れがあるようで線が見えてしまっている(段差もある)ので、時間のあるときにこれをもう一度、何処が割れていたのか判らないくらい完全修復を行なってみようと思う。なんだかんだで自分の作業はどんどん後回しになっていくのだが。。。

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by Tashinchu | 2015-04-20 19:00 | Instruments | Comments(0)

17042015

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by Tashinchu | 2015-04-17 09:30 | Foods | Comments(0)

13042015





前日に挑戦した、というか遊んでみたタイムラプス用の写真をせっせと処理してもらう。処理速度が遅くバッテリーの減りも物凄く早いけれど、iPhone4でもここまで出来るのだから、まだまだ大事に使っていこうと思うのである。


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by Tashinchu | 2015-04-13 14:00 | Movies | Comments(0)

12042015

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by Tashinchu | 2015-04-12 15:00 | Events | Comments(0)

11042015

実家に帰省。

今年初のBBQを楽しみつつ、Smoked SalmonとSausagesを作る。霧島の色が増えているのにも驚いた。
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by Tashinchu | 2015-04-11 15:00 | Foods | Comments(0)

07042015

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by Tashinchu | 2015-04-07 15:00 | MISC. | Comments(0)

06042015

なるほど、ギターの1-4弦だと思えばコードをおぼえなくて済む。これに気付いたのは週末だった。

今までウクレレのコードを新しく覚えていくのが億劫だったけれど、ウクレレの調弦はギターの1-4弦の5フレットの時と同じなんだと気付いたので、一気に煩わしさから解放された。これに至るきっかけはウクレレのG7をコード表で確認していたときで、ギターコードのDとD7の変化と同じなので「おや?」と思い、ちょっと思考をめぐらせてみたら結論がでた感じである。

ウクレレの4弦は楽器を正面から見て一番左の弦(1弦は正面向かって右端)で、ギターの場合は一番低い音に調音されているけれど、ウクレレの場合は一番高い音に調音されている(同じ調音で4弦を低くするLowスタイルもある)。つまり4→1→2→3弦の順に音が低くなっていくのだが、これが自分を困惑させていた。しかし、そのウクレレの開放弦の音を紙に書いてみると、耳から入ってくる音程の影響を受けずに済むので、ギターの1-4弦を5フレットにしたときと同じ「GCEA」となることに気づいた。

ウクレレを演っている人には当たり前の事実かも知れないけれど、今までコードをいちいち記憶していた身からするとこの発見は大きく、英単語のようにコードをノートに書いて覚えていく面倒な作業から解き放たれたといって良いだろう。自分の覚えていたウクレレコードが、10個ほどから(使うかどうかは別としても)一気に60個以上近くまで増えた瞬間だった。

同時に、ウクレレのフレットマーク割りがギターのそれと違うことへの違和感も一気に消えた。ギターのフレットマークは3・5・7・9・12・15・17の間隔で打ってあるのに、ウクレレは5・7・10・12だったのでどうも馴染めなかったが、ウクレレのフレットマークがギターの5フレットから始まっていると考えると、ギターのマーク間隔と整合性があることが判る。これはソロを弾くときには嬉しい発見である。

これをカナダにいる頃に気付いていたら、Taichiさんのウクレレをもっと味わえたのに惜しいことをした。以前のBlog記事で書いたGabby&Lopezはウクレレ弾きなんだろうという仮説も脆くも崩れたのだけれど。。。とにかく、またウクレレとの距離感が縮まったことに変わりはない。ギターを弾く人は、このTipsを使うと簡単にウクレレも弾けるようになること請け合いである。

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問題解決に至るヒントをくれたGコード

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by Tashinchu | 2015-04-06 18:00 | Music | Comments(0)

05042015

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去年、撮ろう撮ろうと思っていて撮り逃したしたこの草。今年はバッチリ納めてきた。初めて見たときにラピュタみたいだなと思ったけれど、この日もまた堂々たるラピュタぶりだった。つい最近ある解釈をひらめいたことがあって、それがジブリでつながっているので留めておこうかなと思う。

まずは、漫画「風の谷のナウシカ」の話から。
ナウシカがオーマやトルメキアの王子達と共に墓所へ向かう途中、キツネリスのテトが死んでしまい、彼女は近くに見つけた廃村らしき土地にテトを埋葬することにする。すると、そこにひとりの若者が現われて、ナウシカ達に休息を勧めてくる。この若者は実はヒドラで、数千年もの間、火の七日間前の文明や動植物を浄化後の世界に引き継ぐためにこの土地を守る役目を負っているのだが、ここでナウシカは彼女自身が想像しなかった、しかし非常に理にかなった事実を知ることとなる。

さて、それ気付くに至ったヒドラとナウシカ(途中から森の人セムルが加勢)との問答の中に、ヒドラが発した言葉(正確には覚えていない)で「この娘に私が手を加えていなければ、この甘い空気には耐えられなかったはずだ。」というようなことを2人へ説明していた場面がある。これはナウシカ達の体が作りかえられて、腐海の発する瘴気の混ざった空気無しには生きられない体になっていることをヒドラが示したもので、浄化後の世界の空気は瘴気と同じく毒であり「望んでも住むことが出来ないその場所に希望を抱いても無意味だろうに。」と、ヒドラが森の人に詰め寄る場面も一緒に描かれている。ここでナウシカは自分の体が作りかえられていた事実を知る。

つまり、ヒドラの庭園内は浄化後(=火の七日間前だろう)の空気を使用しているので、ナウシカ達を招き入れる際に、彼女や王子達の体を浄化中と浄化前後の両方に耐えられるハイブリッド人間へとヒドラが細工をしたと考えられなくも無い(森の人は精神だけ庭園にやってきているので空気の問題を受けない)。ナウシカが、この事実から更にヒドラを問い詰めたことで、ヒドラからの攻撃(問答)は終わり「あなた(ナウシカ)の為にここ(庭園)のドアは開いておきましょう。」的な言葉もナウシカへ残すまでになったと記憶している。

この部分だけにフォーカスをして、その後にナウシカがとった行動を見ていくと面白い解釈が生まれてきた。まとめサイトで言われているような“ナウシカが、場つなぎの存在である自分達を作った旧人類に納得がいかず、その卵を破壊する”というような設定ではなく、元々設定されていたであろう“浄化された空気によって血を吐きながらであっても、私達は生きていくのだ”というナウシカの強い意志でもなく、新たな、というか後者に少しだけ肉付けしたような設定。

それは“ナウシカはミトコンドリア・イヴになろうとしていた”という設定である。

おそらくではあるが、宮崎氏は設定として先出後者を想定していたのではないかと思う。「いのちは闇の中のまたたく光だ!!」とナウシカに言わせているので間違いは無さそうである。実際の私達の生活も、宇宙の始まりから見ると人類の歴史はまたたく光で終わることは間違いなく、そういうことなのではと想像できる。つまり、浄化が終わったあとナウシカ達新人類は滅び、墓所に眠っている旧人類の卵からまた旧文明が復活という旧人類が望んだセオリーをナウシカが壊し、それがたとえその後人類が完全に(新旧共に)滅亡したとしてもそれはそれで仕方がない、という感じだろうか。

この設定はこれで完成しているので物語として全く問題はないだろう。しかし、ヒドラの庭園でナウシカがハイブリッドになったことを彼女自身が知りながらも、旧人類を殺したとなると話は別の展開を迎えてきそうである。つまりナウシカは旧人類を破壊し、彼女自身がミトコンドリア・イヴとなろうと画策していたという設定である。私達人類もアフリカの一人の女性Aから派生したらしいことが研究で明らかになっている(ミトコンドリア・イヴは1人ではなく他にもいるが、現人類のマジョリティは女性A)。

つまり、ナウシカがセムルであれチククやアスベルと子をもうけた場合、その子どもはハイブリッドな血を持った人間として生きることが出来る訳で、その子孫が腐海の毒で滅びなければ、浄化後もそのまま新しい大地と空気の中で文明を続けることが出来るのである。仮にナウシカが自分の子に「清浄化が完了したら庭園に入って、ヒドラから旧時代の文明と動植物をもらって欲しい。」と代々伝えるように指示すれば、旧人類がいなくとも新しい文明が築けるといったところだろうか。旧人類にとって少量の腐海の瘴気が毒となるのであれば、ハイブリッド人類は進化の過程で勝ち組となるはずだ。墓所でナウシカが墓所の主と会話をした際に、卵として眠っている旧人類の卵も戦闘等の攻撃的意思を持たない人類に作り変えられているような感じがしたとすれば、ナウシカの行なう行為はそこまで罪深いものではなさそうでもある。

問題点として、
・ナウシカは自身に備わっている攻撃的な面や人間の愚かな部分を後世に残してもいいのかと思っていそうなところ(浄化が終わって生きられたとしても、文明や争いによってまた大地を汚してしまう←旧人類の卵はそういう危険を孕んでいない)
・ミトコンドリア・イヴになろうという我欲むき出しの彼女はナウシカらしくない
・「いのちは闇の中のまたたく光だ!!」という発言と真逆を行く
・ナウシカは結婚するのか?(年代記の記述)
等々、ナウシカ自身の性格や行動に対する反証や説明がつきづらい。

他にも、
・王蟲の存在説明
・ハイブリッド化したとして、その後のヒドラ(庭園)との関係(ヒドラは庭園外でもマスク無しで過ごせている)
・その後の皆に対する説明をせず世界を偽りのまま終わらせていいのか?(蟲使いに「セムル様、私は嘘をつきました。これからもずっとつき続けます。」的なことは話しているが)
・旧人類は卵だけ残して、つなぎの新人類なんて作らなければいいじゃない。(旧人類はもしかしたら浄化中に新人類が何かしでかしてくれるかも知れないと思い作った?)

などなと、想像は膨らんでいくけれど、そんなことも考える余地を残して宮崎氏がこのエンディングを設定していた(7巻最後に“語り残した事は多いがひとまずここで、物語を終わることにする。”の記述もまた秀逸)のであれば、風の谷のナウシカは相当深い意味を持った漫画の枠を超えた作品という感じがしてくる。また興味深いのは、漫画ナウシカの最後に“生きねば....”と書いてあることだろう。監督として最後の作品となった風立ちぬのキャッチコピーも“生きねば。”なのだ。

こういう実生活には全く関係ないことを考えるのは止められない。

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by Tashinchu | 2015-04-05 18:00 | MISC. | Comments(0)