音・岩・光

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28082014


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偉大な人物にはさまざまな伝説・逸話と謎、そして夢とロマンがつきものである。“もし織田信長や坂本龍馬、ジョンFケネディがもう少し長く生きていたら”などと、酒やパーティの席で想像を膨らませる機会は多いだろう。徳川家や旧日本軍の埋蔵金などは、真偽はともかくとして今でも語られているし、伝説や謎から来る夢やロマンは人間の想像力と好奇心をかきたてる。

ストラディヴァリは今から300年ほど前に活躍した、実力と名声を備えたヴァイオリン職人で、彼が製作した楽器のオークション落札価格はしばしは今でも世間を賑わせている。そんな彼にもと言うか、彼の楽器には数多くの謎が存在する。まずその至高な音。その音色を超えようと後の楽器職人が挑戦し続けているが、その技術と業はそのまま彼の墓中で永遠に失われたままであり、現代の楽器職人の努力が報われることは無いだろう。300年前に作られた楽器を、事細かに分析して製作したとしても同じ音は出せないのである。

そんな彼の楽器の中でもほぼ新品に近い状態で残っている楽器がこの世に存在するのを知っているだろうか。それはル・メシー(メシア)という楽器で、今でもイギリスのとある美術館にガラスケースに入れられて展示されているのだが、「実はこのル・メルシーには幻の姉妹作があった!」というところから物語が大きく動いていく。ル・メルシーと同等の状態のオリジナル楽器が今でも世界のどこかに眠っているとしたら...。裏表紙の内容紹介(あらすじ)を読んで、もうそれだけで興味津々。気分は、初めて飛行機に乗る前の子どものように、興奮しながら次々にページを捲っていた。

そんな訳で、ほぼ一気に読んでしまったほどのこの推理小説。ヴァイオリンやストラディヴァリのことは知らないという人でも充分に楽しめる内容だ。知っているのであれば、物語の中で紡ぎ出されるちょっとしたエピソウドや人間模様にニヤリとするだろう。ヴァイオリン業界の裏話や内幕、有名作品の真贋秘話に楽器の構造のこと、先出したクラシック音楽史のエピソウドまで、この面白さはYの悲劇を読んだとき以来かも知れない(ちょっと大げさすぎるか...)。今年はあまり本を読めていないけれど、僕の中での2014年ベストミステリーの座は間違いなく本作が獲るだろう。

今までストラディヴァリの謎に迫る本や番組の数々を読み見てきた。何故もっと早くにこの謎を題材に取り上げるミステリー作家が出てこなかったのか不思議なところである。もしかしたら居たのかも知れないけれど、姉妹作という着眼点とそのストーリー展開を読み進めていると、これほどまでミステリーに最適な題材はそうそう無いことに気付く。レオナルド・ダヴィンチと彼の作品モナリザから生まれるそれを見ているようである。本小説には続編も予定されているらしいが、まだ日本語訳版は出版されていないようで、英語オリジナル版を買ってしまおうかという勢いだ。ヴァイオリン好き、ミステリー好きにオススメの1冊。



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by Tashinchu | 2014-08-28 14:00 | Books | Comments(0)

23082014

夏野菜は太陽の光を受けて育つ。実家で採れる野菜の味は明らかに店頭のものとは違うのが判る。


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今年は順調に巨峰(もちろん種あり)が育っているようだった。アーモンドやブルーベリーも毎年数を増やしてきているらしい。



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3泊4日で帰省中、2日もBBQで盛り上がってしまった。炭火で頂く鮎、これまた美味しいのである。


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by Tashinchu | 2014-08-23 12:00 | Foods | Comments(0)

22082014

大井川鐵道では夏休み期間+αで、きかんしゃトーマス号を運行している。

「貴重な動体SL機関車をこんな風に使って」とか「今どき石炭を燃やして二酸化炭素他を出しながら進むなんて」とか言う人もいるだろう。でも、子どもの頃から沿線に住んでいた田舎モンの自分にとっては、SLは感慨そのものなのだ。汽笛が大井川に響く音や燃える豆炭と煙のニオイには、効率やスピードとかそういうことが優先順位の上位に来る前の時代が感じられる。


同鉄道のSLには今まで2回乗車したことがあるが、今度またのんびりと、お茶の季節にでも川根路を下ってみようと思う。


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by Tashinchu | 2014-08-22 11:40 | MISC. | Comments(0)

21082014

ジブリ関連の企画展はどうやら、パーツやエレメントを分解してその本質に迫ろうとするのがセオリーらしい。先日の「ジブリの立体建造物展」は、“部分を見れば、全体が見える。”と銘打たれていたし、今回の「山本二三展」では、“背景が語る”と標題めいたものがポスターの脇を固めている。展覧会はそもそも、全体(全容)を展示するか何か一点に絞るかのどちらかが多いので(二三展はその観点では両方の特性を持つ濃度の高いものだったが)、無理やり分類するなら後者に関連付けてしまうだろう。山本二三氏をジブリの枠組みの中だけに捉えようとすること自体お門違いだが、僕が二三展を無理やりにでもジブリと関連付けてしまうのには、先に訪れた立体建造物展での妄察の答えめいたものが、遠く離れたこの展覧会で得られた影響が少なくはないだろう。


週遅れのお盆里帰りで松坂屋前バス停に到着したのがお昼過ぎ。時間はまだまだたっぷりあったので、そのまま実家へは帰らず静岡市美術館へ足を向けた。JR静岡駅の北口から3分ほどの距離にあるのが素晴らしく、しかも地下道を使えば一度も屋外に出ることなく辿り着けるのが気に入っている。多くの美術館・博物館がそうであるように、せっかく素晴らしい展示を見た(見る)のに車や街の喧騒が見えてしまうと興ざめすることがないだろうか。クラシックのコンサートなんかもそうだ。地下道で行けるとは言っても多くの人工物・音や人々と遭遇することは確かなのだが、車の流れを見なくて済むのは、余韻に浸るという意味でポイントが高く後味が良い。帰省荷物で身を固めた自分だったが、コイン返却式のロッカーに行く時間が惜しくてそのまま入館し入場ゲートをくぐった。鑑賞中に少し後悔もしたけれど、館内に居たほとんどの時間はその重さを忘れるくらい熱中していたと思う。

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自分の脳がそれまでの展示では感じなかった何かを認識したのは、カチカチ山(1997年・未公開)のイメイジボードと背景画のところだっただろうか。97年といえば、もののけ姫公開の年。カチカチ山の原作はあの童話であり、二三氏はそれにも参加していたことになる。通常、1作品に1人の美術監督のところを、もののけ姫の製作時には美術(統括)担当が異例の複数名体制(しかも美術業界の重鎮ばかり)で臨んでいたようで、宮崎監督の並々ならぬ意気込みが伝わってくるこのエピソウドは、もののけファンの間では有名らしい。作品の規模にもよるだろうが、美術監督業を年に数作品というのは日常茶飯事だろうと思うのに、何故カチカチ山は公開に至らなかったのか、少し気になるところである。ただ単に企画が頓挫・打ち切られたのか、もののけ姫と時代が被る為なのか、はたまたもののけ姫の製作に注力したかった為の決断だったのか。原因が作品自体からではなく、もののけ姫という外的要因から来たものであったら、という想像が膨らんだ瞬間だった。自分の好きな色味と階調で描かれたカチカチ山の背景画等が、公開してくれていたらという思いを一層強くした。


火垂るの墓は、(今では考えられないことかも知れないが)となりのトトロと同時公開で、美術監督は二三氏が務めていた。ジブリの教科書第3弾「となりのトトロ」の中で、鈴木氏は二三氏を高畑監督に取られた宮崎監督をなだめるのが大変だったことや、トトロの上映時間が延びたのも火垂るの墓を意識してのことなんですよ、などのエピソウドを語っている。火垂るの墓といえば、サクマ式ドロップスの周りをまうホタルの絵が浮かんでくる人も多いと思うが、そのイメイジボード「捨てれられた思い出(87年)」を見ると、二三氏を高畑監督に取られた宮崎監督の胸中を感じられずにはいられない。天空の城ラピュタで美術監督を任されたのは二三氏。宮崎監督としては、次回作のトトロにも是非という思いがあったのだろう。ラピュタと火垂るの背景を比べると、全くアプローチが違ってはいるものの中軸となる部分には二三氏のブレない業が見てとれるのだから、宮崎監督の思いは尚更だろう。それまでのアニメーションではなかった細密で忠実な描写と表現が本当に素晴らしい1枚を見ることが出来た。



さて、ジブリの立体構造物展で考えた自分の妄察の答えというか妥当性を、今回の会場の一番最後で、しかも高畑監督の話の引用文から得られたのは本当に驚きだった。(※この先の本文には、その展示内容でもある引用文を載せているのでご注意。)



妄察は、
1.ものの見え方(の嘘)
2.光の表現(の嘘)
だった。

そして、これら2つを緻密に細部にまでこだわって描くことにより、それを嘘と感じさせず錯覚(≒アニメーション)として“ジブリ作品が持っている何か”へと昇華させてしまうのがジブリの仕事の凄さだと結論づけた。



では掲げられていた引用文を抜粋して載せてみる。

山本二三さんの美術を語る高畑勲
(中略)
骨組み(レイアウト)は、簡素なままに描き込みを増やし、あたかもリアルアニメの場合のように、それを構成ある素材・部品に細かく精緻な物質感(テクスチャ)を与える。すると、リアルな「リアル」でないが、別の「リアル」がそこに立ち現れる。
こうして『じゃりンこチエ』の世界は、一種の精潔なファンタジー世界として、充分にリアリティーを獲得したのである。
(中略)
山本二三背景画集(廣済堂出版 2012年)

-引用終わり-

まず、じゃりンこチエはジブリ作品ではない。そして、この引用文も自分の妄察の答えを正に語っているものではないが、感覚的な部分では同じようなことを、高畑監督が指摘しているのではないかとこじ付けるのは自分のエゴなのだろか。ただ、高畑監督が感じるようなことの一角くらいのことを自分も感じられた(のではないかと思う)ことを素直に喜びたい。同時に、監督が「虚実皮膜」になっている現代社会を憂い(愁い)ていたことも付け加えておきたい。

虚実皮膜=ここでは、アナログな部分をデジタルにしてしまうことで生まれる長短所。例えば、オーケストラ演奏をCD化することによって聴こえてこない部分が出てしまうことであり、アニメの緻密さをCGで描くことでリアルさが増すが失われるだろう部分もあること、と自分は解釈した。




最後に、自分のお気に入り作品はこちら。

“ギガントコントロールルーム” (未来少年コナン、背景画)
“火炎” (火垂るの墓、カラーボード)
“捨てられた思い出” (火垂るの墓、イメイジボード)
“シシ神の森(5)” (もののけ姫、イメイジボード)
“コダマの道(2)” (もののけ姫、背景画)



山本二三展は2014年9月23日まで静岡市美術館で開催中である。ちなみに、同美術館の入っている葵タワー内の料理店他で半券を提示すると、コーヒー無料や代金10%OFFなどのお得なサービスが受けられる。


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by Tashinchu | 2014-08-21 13:00 | Museum | Comments(0)

19082014

日本に帰ってきたら絶対やることリストのひとつだった赤外線写真。日本の日差しは尋常ではないほど強く、少しばかり遠くへ散策してみようという意欲を打ち崩すには充分なほどで、この日の気温は34℃まで上がった。

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街中を撮るのであればこれくらいでも足りるのだが、(御苑などの大きな緑地)公園や自然の中に居る人工物をとなると超広角レンズが欲しくなる。機材の中には20mm相当のレンズがあるもののフィルターを装着できないタイプなので、何とか加工して取り付けられるようにしてみたいと思うのだが、果たして…である。

ZM35mmBiogonには赤外線用の距離指針が引いてくれてあるので非常に便利だ。Leicaレンズにも引いてくれてあるモノもあるんだろうか。レンジファインダーカメラは、一眼レフと違ってファインダーがブラックアウトすることもなければ、こういう撮影時でもずっと被写体が見えていてくれるのでありがたい。

蝶や蝉など昆虫は、この世界をどう見ているのだろう。色を認識できずとも、こんな風に見えていたのであればそれはそれで羨ましく思う。






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by Tashinchu | 2014-08-19 13:30 | Photograph | Comments(0)

12082014

偶然に道を尋ねられたことにより立ち寄ることとなった「ジブリの立体建造物展」。何でこんなところで開催中なのかと思ったが、ここ小金井公園内には、さまざまな建物を復元・再現した江戸東京たてもの園なるものがあることを思い出して納得。元々ジブリと小金井(三鷹・吉祥寺)はジブリと縁のある土地柄でもある。(※ちなみにこの先の本文にはネタばれの要素があるのでご注意。)

“部分を見れば、全体が見える。”と題した今回の展示は、イメイジ(美術)ボードや原画・セル画をはじめスケッチやジオラマまで、ジブリ作品を中心に、多くの貴重な資料をもとにジブリ映画に登場する建物について、断片から全体としての設定や意図を読み解いていくというような内容だった。展示品はほぼ建物関連なので、ジブリキャラクター好きには少しばかり物足りなさを覚えるかも知れないが、原画や建物好きにはたまらない内容かも知れない。千と千尋の湯屋、ポニョのリサと宗介宅などのジオラマも再現され、その数も充実しているのが影響したのか小中学生や子供連れの親子の姿も多く見られた。

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入口を過ぎると直ぐに、思い出のマーニーと風立ちぬの展示が最初に並んでいて、新作と昨年作品ということで人だかりが出来ていた。自分はまだ共に鑑賞していないので素通りして進んで行くと、なぜかアルプスの少女ハイジの展示となった。かぐや姫の物語の展示はないのだろうか?と思うが、こちらもまだ鑑賞していないので象徴的な建造物が登場していたのかも定かでないまま、ハイジの展示を鑑賞となった。ハイジはジブリではないと思うのだが、この場所に展示が来ているのはどういった理由があるのだろうと思いを巡らす。高畑・宮崎両監督が携わっているTVアニメということでの採用なのだろうか。スタジオジブリ立ち上げ以前から、ジブリ作品に登場する建造物にみられるような緻密な部分設定が成されていることを示す為なのかも知れない。おんじとハイジの山小屋やクララたちの屋敷の設定資料とジブリ作品の同系資料には、同じニオイとリアリティがあった。願わくば、未来少年コナンに高畑氏が参加していてくれたらと思ってしまう自分がいる。そしたら、ジブリ作品ではない同作品についても、のこされ島の小屋やインダストリアの三角塔などの展示が見られたかも知れないと思ったからである。

今回の展示会で一番の収穫だったのは、仮ぐらしのアリエッティの(多分原寸大の)ジオラマが置かれていたことだろう。映画を見ていて、自分の中では、アリエッティの実際の大きさもそうだが人間の日用品との縮尺比率にどうもなじめない部分があった。しかしジオラマを見ると、アリエッティたちと人間が使うシャツのボタンや洗濯バサミなどの小物類との縮尺が、しっかりと設定・再現されていることが判る。ようやく映画の中に感じたぼんやりとした?マークが取り除かれた。そういった感覚をもたれた人は是非とも来園(館)して味わってみて欲しい。


ジブリ作品が持つ完璧なまでの設定の不完全さを暴くために、この建造物展の企画はスタートしたのだそうだ。しかしながらその目論見は失敗に終わる、と解説にはあった。その短的な例として、ハウルの動く城の建築構造の説明であり、千と千尋の神隠しで登場した湯屋「油屋」のジオラマ展示ブースでは、橋の設定についての説明が置かれていた。僕が感動したのは、舞台となった油屋はそこに見事な正確さをもって設定されていたことだった。千尋が息を止めて入口の橋を渡り、縁側に面した中庭のようなところにある扉を抜けて、建物外側に張り付いている階段を下って鎌爺(かまじい)に会いに行く場面。ジオラマを見ると、どの道筋をどちら方面に辿って行ったのかが一目瞭然で唖然とした。ハクと千尋の導線を、進んだ方向や距離なんかも含め、まさかジオラマによって追体験できるとは、その設定の細かさと正確さに恐れ入ってしまった。

これがジブリ作品の真骨頂だろう。とにかくリアルに描くことで、アニメという嘘の実体を浮かび上がらせるワザを持った集団がスタジオジブリであり、高畑・宮崎両監督の凄さでもあるのだと思う。更に加えれば、ジブリ作品が無二な強さを持つ理由として、続編やスピンオフを絶対に描かないこともジブリブランドを支えているように思う。ハリウッドを始め日本映画でも、またドラマや漫画でも常套手段化している、安易な裏ワザを彼らは決して使わない。


------ここからは自身の妄察を------


「突き詰めた嘘が招いた不思議な感覚にもジブリ作品の魅力がある。」


1つ目は「ものの見え方」。
魔女の宅急便のポスターか何かで、キキがほうきに乗ってカモメの群れと一緒に街を下にしている絵に描かれた背景は、実際にはそう見えてこない。おいおい、そんなもんは背景にセルを重ねてるんだからという人もいると思うが、背景だけをとってみても人間の目やカメラのレンズからの見え具合とは一線を画している。あるレンズの焦点距離で見えるであろう画角世界とは少し違う歪みというか見え方(描き方)をしているため、背景だけを見た場合でも「おやっ?」と思うこともあれば、よくよく見ると背景と人物や乗り物のパースの出方がちょっと不自然になっていたりすることが間々(多々かも)ある。

先ほどのキキの1枚の場合、背景を見ると21mmレンズを使い超広角の広がり、もしくは鳥瞰的な描き方をしているが、キキとカモメは50mmの標準レンズで切り取られたような歪みの少ない描写がそこにある。超広角レンズで撮られたのであれば、キキの姿はもっと変に引き伸ばされている必要があるし、前後のカモメたちはもっと極端に大きさ違っているはずであるが、そんな風には描かれて(というか宮崎氏は意図して描いて)いない。悪く言えば遠近感がぐちゃぐちゃなのだが、そう感じさせない凄さがある。鳥瞰図と普通の見え方の融合はありえないが、違和感を感じさせずそれが見事に再現されているのは、他の細部をしっかりと設定し描いているためではなかろうかと僕は思う。これは宮崎監督作品に多いのだが、逆に実際のパースで描くと違和感として観客の注意を引いてしまうと感じられるほどだ。監督はそれを無意識的に感じて、「ものの見え方」に対して自然に嘘をついているのだろう。空を飛ぶ作品が多いのも要因のひとつだろうが、自然に描けてしまう監督の腕にはいつも驚かされる。


2つ目は「光の表現」についてだろう。
展示されている美術ボードからは緻密な暗部の光や色の表現を見ることが出来るが、実際の写真ではそこまでの階調は写し出されてこない。コクリコ坂からの夕方の商店街のシーンを普通にカメラで撮ったら、商店街の暗部と夕日の赤は絶対に一緒に写し出されないはずである。

ダイナミックレンジがそんなにあるフィルムや撮像素子は未だに無い訳で、この見え方は人間の網膜のダイナミックレンジ(=“網膜階調"とここでは称する)に非常に近い見え方をしている。つまり、一般的な映画が内包する「網膜階調には及ぶことの出来ない、フィルムやデジタル撮影されたリアルな被写体(役者・セット)と光」と、一般のアニメが持つ「網膜階調に近いが被写体(登場人物・背景)や光に実在感のない絵」の、どちらにも属さないアニメがジブリ作品、ということになるのではないかと僕は思うのだ。結果として、ジブリ作品は「網膜階調に近く、被写体(登場人物・背景)や光にも実在感のある絵」が展開することになるので、その嘘と現実の混在がジブリ作品に不思議な感覚をもたらしているような気がしてくるのである。


いわゆる「錯覚」とでも言っていいかも知れない、この「見え方」と「光の表現」の積み重ねが、物語全体としてリアルな浮遊感とでもいうか、ファンタジー(という言い方は好きではないが)フィクションを構成しているように思うのは気のせいだろうか。「ジブリ作品って何か違うんだよね。」の“何か”は、その巧みに描かれた錯覚であり、それを嘘と感じさせないのが緻密に描かれた細部へのこだわりなのだろうと思う。


------妄察終わり------


そんなことを改めて確認させてくれた今回の建造物展。部分を緻密でリアルに描くことによって、実在感を兼ね備えたアニメという錯覚(嘘)を体現するスタジオジブリの仕事に、“部分を見ると、全体が見える。”は映画内で登場する建物だけには当てはまらないことを示してくれているようでもある。ジブリ作品は、小気味良い嘘と錯覚の感覚を味わうのがよろしいと思えてこないだろうか。


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by Tashinchu | 2014-08-12 11:30 | Museum | Comments(0)

09082014

カメラの液晶カバーが突然外れ落ちた。特に衝撃を与えたわけでもなく、きっと気温と湿度の変化によるものではないかと思っているが、真相は判らない。何とも突然に訪れた衝撃のひとときだった。ボディ側とネジか何かで留まっているかと思いきや、接着剤で固定されているだけだったことにちょっと驚いた。

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以前行なわれていたUpgradeは、ここの部分をサファイアガラスにするということだろう


ここでがっかりしても仕方がないので、修理に出すのも面倒だし自分で何とかすることにした。まずは液晶カバーに付いた接着剤(ゴムのような素材だった)を綺麗に落としていく。液晶に面するカバーの内側には絶対に触らず、埃なども乗せないようにないように細心の注意を払って取り除いていく。これは比較的簡単に終了。お次はボディ側の接着剤残りの除去である。



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よくよく見ると接着剤の塗りムラがみられた




こちらでも液晶には触らず、ゴムのような接着剤残りを取り除いていくのだが、カバーが乗る土台とカバーの外枠の間に凹みがあり、そこには埃がたまっていて(溜めるシステムなのだろう)、液晶に微細な塵が少し乗ってしまった。小型であっても掃除機は使いたくないので、カメラの液晶側を下にしてブロアで吹いて、液晶上の塵を落とすことに成功。接着剤も綺麗に取れて、両面の清掃が完了した。その後、強力な両面テープを2mmほどの幅に切り、カバーの縁に四角く1周するように貼って、ボディの土台部と接着をし完成をみた。


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埃の進入は見られず一安心



いわゆる応急処置なんだろうけれど、誰に売りつける訳でもなく、壊れても部品がある間は使い倒すつもりなのでこれでOKだろう。日本の夏だからこそ撮りたい1枚があるので、それに駆り出せることのほうが嬉しい。なかなか真鍮部が出てきてはくれないが、これからも大事に使っていこうと思うのである。



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by Tashinchu | 2014-08-09 18:30 | Camera | Comments(0)

02082014

僕が現在住んでいる市では住民票を市内へ移す(転入)すると、FC東京のJリーグ公式戦1試合へ無料招待(交通費他の諸費用は自己負担)というキャンペーンを行なっている。期間はいつまでか不明だが、都内の他の区や市でも同じようなキャンペーンをやっているのではないかと思う。4月から新生活をスタートした際、諸々の事務手続きを市役所にしに行ったらスタッフが親切に教えてくれたので、帰宅後に早速登録兼応募して待つこと3ヶ月ほどして招待メールが届いた。このメールは希望試合の2週間ほど前にならないと届かないので、やきもきしていたのだけれどしっかり送信されてきた。希望観覧試合はもちろん、清水エスパルスとの試合をチョイス。シートはFC東京のホームエリアなので隠れエスパルスファンとして、久々のサッカー観戦へと出掛けた。

味の素スタジアムまでは、JR武蔵境駅(他のJR近接駅からも出ていそうである)南口から無料の直通バスも出ており、駅からは20分ほどでスタジアムバックサイドに到着した。夏休みということもあって、子供連れのサポーターやキッズ清水サポーターの姿も見られたが、両サポーターが同じバスで会場に向かえる雰囲気が素晴らしい。久々のMcDonald's袋を引っさげてバスに乗車したので、周りの乗客には申し訳ないことをした。 

チケットを発券してもらう場所を会場のスタッフに聞くと、どうやら正面スタンドに行かなくてはならないようで、ぐるりと半周スタジアムを回ることになった。正面についてもテントの場所が違うらしく、更に目的の青色テントを探して一歩き。そしたら今度は、観戦席がバスを降車したバック側ということで、結局スタジアムを1周することになり、ぐったりとしたマックのフライドポテトが僕らの心境を代弁してくれているように見えた。


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曇り時々雨の予報が出ていたが、何とか天気はもってくれた。旧暦の七夕を楽しめなかったのではあるが。



FC東京は好調に勝ち点をあげており、この試合前での順位は7位。対する清水は成績不振によりゴトビ監督が解任されて大榎監督での新体制となって初の公式戦。8:2でホームの東京に分がある空気が会場に漂っているのが判る。以前、何かの記事で、FC東京サポーターはアウェーでの試合に出向いているにも関わらず、スタジアム周辺に出店している屋台フードを前半戦終了前には平らげてしまうため、他チーム屋台関係者からも恐れられていると読んだことがある。そんな予備知識があってか、味の素スタジアムは屋台だけでなくスタジアムの直ぐ外(敷地内)にも沢山の移動屋台が並んでいるのが嫌でも目に入ってくる。また、KFCがスタジアム内にあるとか、最近のスタジアム事情は何かと色んな意味で豪華になってきている印象を受けた。




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FC東京サポーター



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大榎監督の垂れ幕も見える、清水サポーター席



さて試合はというと、15分ほどして東京がラッキーな先制点をたたき出すものの、御互いにミスが多く波を引き止められない時間帯が40分前まで続く。攻めあぐねているというよりかは、両者とも枠内シュート(FK含め)を数本づつ放つものの流れに乗れずといった感じ。しかし、CKからのこぼれ玉を押し込んで東京が追加点をあげると、前半終了間際ながら次第にホーム東京へ波がやってきたようで、ロスタイムに得たFKを直接決めて3-0で前半を折り返す。大前元紀が全く仕事を出来ないのかさせてもらえていないというのが、清水視線の前半戦だった。

後半も東京の流れのまま進み、終わってみれば4-0の完封試合。どんなに圧されていても1度は劣勢側にも流れに乗れる時間態がやってくるものだが、そこで決められなかったのが今回の敗因ではないかと素人目に見えた。東京に流れた波はキーパーのスーパーセーブを生み出したりするもので、あれが決まっていたら引き分けも苦しいところではあるが、少しは善戦できたのではないかと思ったりしてしまう。大前に換えて入った村田和哉の動きと連携も良く、流れがくるかとも思えたが、大榎監督初陣は苦い結果に終わってしまった。次戦の対徳島は清水ホームで開催なので、是非とも勝利をあげてもらいたい。


そんな訳で、転入者招待キャンペーンは存分に楽しませてもらったが、清水にはもう少し頑張ってもらいたかった90分だった。ちなみに、この招待キャンペーン、参加した人の中から東京-浦和の試合も抽選で当たるのだそうだ。その試合当日はスケジュールが合わないので応募はしないけれど、こういったサービスはスポーツの振興に非常に有効だと思う。他のチームでも自治体と連携して、こういうイベントをやっているのか判らないけれど、いわゆる地元となる場所へ転入してきて、その地域が母体となるチームを好きになってくれたら、こんなに素晴らしいことはないと思うし、より地域とチームの深いつながりが生まれるきっかけになるような気がするのでナイスアイディアだなと感じた。地元に愛されなければ、チームもそうだが企業も駄目だと思うのである。




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by Tashinchu | 2014-08-02 18:30 | Events | Comments(0)