音・岩・光

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26052014

若者は広い世界を見て感じてるべきだと思う。日本の中だけしか知らないのは勿体なさ過ぎる。「いいじゃない、ネットで世界のことは判るんだし」と言ってもだ、それはネットの世界。現実はもっと混雑していて難解で、ビックリするような偶然で動いていたりするのを、その五感で実感して欲しい。



金星に8000年も住んでいる、緑色の少年のお父さんは、土星で久しぶりに行なわれるオリンピックへ「行って見て感じてきなさーい。」と言った。武力行使の惑星から逃げ出した宇宙飛行士の星の王子様は、この言葉のままに土星の輪っかで開かれるオリンピックへ行き、自分の足らなさを知ることになる。そして何かを言おうとしても言えずにその場を立ち去ったが、この経験から大事なものにも気付くのである。[Shing02「緑黄色人種」 星の王子様(The Little Prince)より]

この「行って見て感じる」というのがとても大事で、身に染みる体験が自分ののりしろを広げてくれるのを知ると、正のスパイラルとでも言うか、どんどん広げていきたくなる衝動に駆られてしまうことを、海外へ行ったことのある人ならお判りいただけるだろう。海外へ出たといっても数カ国しか行ったことがない僕ではあるが、価値観(が違う)というのは、随分と奇妙なものだというのは判っているつもりではある。そいつは伸縮性が非常にあって、それなのに凝り固まったものであり、突然に融解してしまったりもする。伸ばすも縮めるも、固めるも溶かすも、体験の成せる業だというのが今のところの僕のこたえである。



この日、Tim Horton Children's Ranchで一緒に夏を過ごしたHippoと2年ぶりの再会をした。Hippoはもちろん本名ではなくCamp Nameというやつで、僕のはMosquito。僕の中では本名よりもこちらの方が浸透しているのでので、こちらで書き進めていこうと思う。彼もMasaの発音は苦手なようで苦労しているのが判る。彼はちょうど、彼が働く会社の日本支社にやってきていたところで、その時間を利用して日本各地を観光しているのらしい。都合があったので、都心で日本の飲み放題を体験してもらった。ちなみに飲み放題はAll you can drink(食べ放題はDrinkがEatになる)。

彼のGirl friendと友人2人に、自分をあわせた5人。僕はお酒は呑めないが、いつものジンジャーエイルと烏龍茶で均衡はとれるくらい飲んだ。彼らはオーストラリア出身ということで、当たり前だが酔いつぶれないので、飲みながらも面白い話をすることが出来たのが嬉しかった。僕を除き、ほぼ全員が20代半ばまでの彼らとの酒の席は、いわゆる酒の席で若者がするようなバカ話になるかと思いきや、旅先で訪れた京都の建築・庭・仏教観についてや、広島の原爆資料館のこと、東京人(とあえて書く)の文化についての真面目な質問だった。他にも、Hippoの両親の故郷であるベトナムでタイムリーに起こっていた反中デモや、北朝鮮国境(にも行ってきたようで)と韓国との関係についての話など、彼らの目は確実にアジアを、世界を見ていたのが印象的だった。



ここで冒頭の、若いうちに世界を見るのは大事だと思うというのにLinkしていく。年をとると柔軟性が無くなると良く言われるが、柔軟性が無くなっていくのではなく、判らないこと自体を怖くなってしまい、自分の価値観をキープしようという意識が強くなるために、そう見えるのではないかというのが僕の最近の結論である。確かに判らないというのは本当に怖い。PCやタッチパネルに苦戦する年配の姿は、僕らがその年になったときに世界を席捲しているであろう、アイディアと技術に翻弄されている自分達そのものに見える。今まで判っていたものが、イノベーションや文化・価値観の突然変異により判らなくなることほど恐ろしいものは無いだろう。だから、「俺が若い頃は、かくかくしかじかで」と言いたくなるのもごもっともだ。

既に視点・論点が既に5つくらいに広がって明後日の方向へ向かっているが、若いうちは何でも、若いから(というだけではないが)知らないというカードを持って世を渡ることが出来るのだから、やったほうがいいだろう。それは同時に世界を知ることでもあり、新しいカード(=価値観)を得ることだとも僕は思うからだ。乱暴ではあるが、「やらないのはやろうとしないから」で片付けてしまえるくらいのことだろう。ついでに自分の知らなさ加減も知ることができてしまうくらいである

ということで、日本の若者が世界を見ないのは勿体無さ過ぎる。もちろん見ている人も多くいるけれど、日本のマスがつくる一見文化みたいに見える陳腐なモノに摂り込まれてしまっているのが残念としか言いようがない。あれは資本主義と経済という両親から生まれた、現代世界の怪物ということに気付くべきだと思う。確かにそれが日本の生命線のひとつであることは自明ではあるが、古来から続く日本文化であり価値観(が至上かは別としても)というのを切り離す、もしくは切り捨ててしまっては、その両親と子の思う壺になってしまうだろう。日本全体に万延しつつあるコモディティ体質に流れるのではなく、やはり技術という部分で勝負していくのが日本なのではないかと思う。もう安さでは戦えないことは、中国や韓国企業、東南アジアの人材を見れば明らかだろう。

順調に話題が肥大化しているけれど(汗)、世界を見る日本の目が今後どう進むのか興味深いところだなと思ったHippo達との飲み放題だった。鎖国をしていて近代化という意味で世界に乗り遅れた1800年代の日本。しかし浮世絵や江戸の文化が欧米に与えたインパクトは凄まじかった。世界を見ないという観点でみる今の日本に、それをやれる体力があるのか。もしあったのであれば、それこそ日本が世界に見せるセカンドインパクトになるだろう。が、江戸から明治期に失ったモノも少なくはないはずで、今回失うものの大きさも想像がつくから是非とも避けたいところである。もしくは資本主義と経済に飲まれた世界各国が、鎖国ならぬ鎖球(地球内でのみの価値観)で宇宙に取り残される日がくるのか。

こういうことをボンヤリと考えている30代前半の若造の希望は、終身雇用の体系がボンヤリとではあるが崩れてきているところだろうか。高校・大学を卒業して正社員になり、悪く言えば社畜状態で、世界に出たくても出られない若者をつくっているのは勿体無い。それはきっと、企業努力の賜物であり、あの怪物を生んでいるあの両親の所業(もしくは副作用)ということにもなりそうではあるけれど、若い内から海外旅行に1ヶ月以上とか出られる会社が、業績も大衆の支持も受けられる世の中になってきたら、これほど嬉しい価値観の妥協点の落としどころはないだろうと思うのだけれど、どうなんだろう。そしたら「行って見て感じて」こられるし、その怪物と戦う体力を持てるのだから。



最後に本当の意味での価値観の転換として、“進んで貧乏に成れるか。”という文句が、これからの地球を取り巻くキーワードになってくれることを願わずには居られない。




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飲み放題後の渋谷駅群像




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by Tashinchu | 2014-05-26 20:30 | Events | Comments(0)

25052014

Marcello Bellei(マルチェロ・ベッレイ)氏のヴァイオリンについての講演会が新宿であったのでミサオと一緒に足を運んだ。島村楽器Pepe店内のスペースを使った無料のものだったが、興味深い話を沢山聞くことができた。マルチェロ氏は、ヴァイオリン製作のコンクールで数々のタイトルを獲得している注目株。そんな彼の製作に関する秘密と、製作への情熱を垣間見た45分間。講演とは直接関係はないが、通訳者がヴァイオリンに精通していると、本人の講演内容を更に肉付けした通訳で返ってくるので、思わぬプラスの副産物をもたらしてくれることがある。


ヴァイオリンの制作方法は、木材を木枠に当ててカタチを作っていくのが一般的で大きく分けて2通りがあり、木枠が外側をにあるものを「外枠」、内側にあるものを「内枠」という。現在ほとんどのヴァイオリンは内枠方式で作られていて、ストラディヴァリに代表されるオールドイタリーの楽器も内枠のものが多いのだそうだ。理由として、内枠はカタチの形成が容易でシンメトリーの綺麗な姿にしやすいことが挙げられる。ホロウボディのギターなども内枠方式が多いのは、何と言ってもその作りやすさが影響しているからなのではないだろうか。外枠はそれとは逆で、内枠方式に比べてちょっとしたコツが要りそうである。実際にどのような手順で作っていくのかは全く判らないが、楽器の表面側が見えないまま製作をしていく(外側の木枠へ内側から貼り付けていくような感覚)のだから、熟練した技が必要にな手来るだろうことは容易に想像できる。マルチェロ氏は、この2つの製法のどちらでも楽器を作っているらしく、内枠方式はAnsaldo Poggi(アンサルド・ポッジ)を、そして外枠はGaetano Pollastri(ガエターノ・ポラストリ)の木枠(または楽器)を参考に研究を重ねているのだそうだ。今回はその内外両枠で作られた楽器が展示されており、講演後に本人を交えて試奏もさせてもらうことも出来た。


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マルチェロ氏による、内と外枠で作られた2艇のヴァイオリン



個人的な感想だが、内枠ヴァイオリン(左)は優等生、外枠ヴァイオリン(右)は一癖ある役者というような印象だった。素直に音が出てくれる内枠に対して、外枠は出し方を知っていないと出てくれないようなところが、そういった印象を受けた理由である。また音色に関しても内枠は煌びやか、外枠は深みのある音という感じで、自分は外枠の楽器が好きなんだろうことが想像できた(が、作るとなるとちょっと遠慮したい)。製作方法がそのまま音にも反映されているようで面白い。


講演の後に本人へ直接質問を出来る時間があったので、率直な素人の疑問をいくつかさせてもらった。企業秘密的な部分もあったとは思うけれど、僕の質問のあとに彼なりの考察をする時間があったところに、親身になって回答してくれている姿が見えて嬉しかった。F字孔の穴の距離に関しての質問では、彼も思いも寄らなかったらしく、今後の研究材料にするということであった。素人の質問恐るべし、である。彼は相当の研究を重ねているようで、技術のみならず数値(数学や物理学)的な観点からもヴァイオリン製作を楽しんで行なっていることが、回答の言葉のひとつひとつからも伝わってきた。他のViolin Makerもそうなのだが、ただコピーをしただけでは良い音色を出すことは出来ない。技術は勿論、研究結果に裏づけされた楽器製作をしていかなければ、全く意味がないことを身をもって教えてくれたと勝手に解釈しているし、漠然と作るのではなくゴールのビジョンを持って取り組むことの大切さを伝えようとしてくれていたのではないかと思う。


素人ながらに思う僕自身の仮説が彼の研究成果と合致していることが、講演と質問時間から判ったのは収穫だった。今後自分が研究を重ねていく上での自信を持つことが出来たという意味でも、今回の講演は非常に意味のあるものだろう。今後も彼の活躍から目が放せないし、また色々と話をしてみたいものである。




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Marcello氏と


別れ際に、ヴァイオリン製作でもっとも大事なことは「刃物の研ぎである」と話してくれたマルチェロ氏。どの世界であっても、木と関わる仕事は刃物の切れ味が重要なのだろう。もっと研ぎの研鑽を積まなくては。。。



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by tashinchu | 2014-05-25 14:00 | Instruments | Comments(0)

22052014

「弓の鑑定を依頼するならミランかラファン」と言われる、弓鑑定の巨匠のひとりBernard Millant(バーナード・ミラン)氏によるヴァイオリン弓についての講演会へ行く機会を得た。もちろん彼らの本職は弓製作で、ラファン氏は現役の弓製作者であり現在も弓を製作し続けている。トゥルテ、サルトリ、ペカッテからウシャルまで(表記は配布の資料と同じにした)の銘弓の数々をミラン氏から、直接聞ける機会は滅多に無いことなので、漏れなく全てを記さなければと、最前列に陣取って約1時間半の走り書きLectureとなった。彼はフランス人だが、講習は英語(英日通訳付)ですすむ。Hが発音されないところに最初の内は戸惑ったけれど、ケベック英語を思い出すと直ぐさま脳内スイッチが切り替わってくれた。ケベックさまさまである。


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講義で説明された19世紀巨匠による銘弓を実際に手に取ることができるという幸せ



ヴァイオリンというとイタリアが思い出されるが、女房役の弓はフランスが有名でFrench Bow(フレンチ・ボウ)という括りが存在するほど。それは、
イタリアのクレモナがヴァイオリン発祥とするなら、フランスの小さな都市Mirecourt(ミルクール)がヴァイオリン弓の発祥地とも呼べるからなのだそうで、ヴァイオリンの弓の歴史はここから始まり広がっていったといっても過言ではないことを、彼は丁寧に説明してくれた。銘弓の作者の多くがフランス生まれだったことが理由かと思っていたが、実はミルクールで弓が発展したのには理由がちゃんとあったようだ。この小さな都市がヴァイオリン弓の機能・デザインに与えた影響は計り知れない。

ひとくちに“弓”といっても、その歴史はヴァイオリンと同じく数世紀分もあり、初期と現代(革命期に構造等の完成をみているが)では形や材質、製法、そして役割も違ってくる。年代によるそれらの違いを、スライド拡大写真で細かく説明してくれるので、大まか(駆け足)ではあるが世界観をつかめたような気がした。音楽の発展によるヴァイオリンの進化に応じるように、弓の改良も少し遅れて進んだ19世紀。普段であれば全く気にも止めない部分にも、先人の知恵と努力がしっかりと残っているのが驚きである。「神は細部に宿る」とは言ったものだ。機能性もさることながら、細かいパーツの美しさにおいても一級品の姿をしている銘弓たち。それらについて解説していく彼の姿は、とても85歳とは思えないほど活き活きしていて子どものような目の輝きをしていたのが印象に残っているし、1900年初期に活躍していた製作家とも当時親交があった彼の話には、内容と背景にリアルさと深みがあった。

講演の内容と、それに対する自分の考察も書きたいところだけれど、時間を生み出すのが苦手でこのままでは他の更新が進まないので、今回はこの辺で。まだまだ入口に立った程度、もしかしたら入口がどういったカタチをしているのかを教えてもらったくらいに過ぎないが、今後も時間が許す限り、こういった講習会には足を運んで行こうと思う。「ゼロ」の知識とバックグラウンドが「1」になる瞬間ほどエキサイティングで胸踊ることは無いのだから。抽象的になってしまうが、漠然と美しい弓と美を備えた弓の違いをつかむヒントを与えてもらったような夜だった。


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ミラン氏と一緒に

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by Tashinchu | 2014-05-22 19:00 | Instruments | Comments(0)

18052014

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2011年のボルダリングワールドカップCanmore大会で、チーム日本は個人戦で男女共に優勝と国別でも優勝をした。君が代が3回も流れたのは驚きだったし、結構な発熱の中で大会ボランティアをしていた自分は、随分と元気を貰ったのを覚えている。あのとき彼が居たらどんなことを思ったのだろう。

あれから3年が経ち、僕らは日本へ帰ってきた。節目節目を大切にするのは大事なことだ。しかし当事者にとっては、その日から全てが変わってしまったままであり、何年目というようなことは特に関係なくて毎日毎日が違う時間の流れなんだ、といったことを直接聞いたときに、自分の中で微妙な感覚のズレを恥ずかしく思った。また、節目節目を思ってくれることも嬉しいよと言ってくれた言葉が、優しさに満ちていたのを覚えている。その時その時で彼を感じられるようになってきているんだ、とも教えてくれた。


彼の実家に集まって食事をしながら話は盛り上がる。それぞれに3年が流れていたけれど、それぞれの中に今でも彼が存在していて、また新たな時を刻んでいくことを感じられる。話したいこと、知りたいことは沢山あって足りないくらい。Heart Creekで、SkahaやBugabooで感じたように、また色々な場所で姿を見せて欲しいと思うのである。




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by Tashinchu | 2014-05-18 12:30 | Climbing/Hiking | Comments(0)

17052014

人間は機械ではない。そして主観や思い込みで色々と判断を下してしまうところがある。しかし、白黒つかないグレーな部分が人間の味とも言えるだろう。コンピュータによって計算され、機会で完璧に切り出された部材を寸分違わず組んだところで、パーフェクトな楽器は出来上がらないはずだ。むしろ味気も無い工業製品のような出来上がりになってしまうだろう。楽器の良し悪しは一定以上の技術は必要だが、人間の主観(ここはこうするのがいいだろう、など)があってこそのものであり、それが結果としてそれぞれに個性のある面白い個体を生み出しているように思う。機械の作る個体差と1人の人間が作るそれは、実際に出来上がった現物でもそうだが、言葉としての意味合いも明らかに違ってくる。そんなことを両展示会巡りで感じた。

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両展示会の案内




まずは明日館で開催中の日本バイオリン製作研究会の作品展示会から。まず、この建物は“あす”ではなく“みょうにち”と読むのだそうだ。看板のローマ字表記を見て驚いた。妙に痴漢とも読めてしまうが、フランク・ロイド・ライト設計の由緒正しきこの重要文化財を、そんな風に読んではいけない。ここでは挙式なども出来るようで、この日もパーティか何かの催しが本館で行なわれていたようだった。タキシードやドレスをまとった人の影がちらほらと園内に見える。本館全面には芝生の前庭が広がっており、バラの生垣が本館正面をぐるりと囲むよう延びていて、ほのかな香りを運んできてくれていた。その生垣の外側の舗装された小道を横切って、別館で開催されている楽器展示会会場へ足を踏み入れた。

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明日館




ちょうど、展示されている新作楽器の試奏コンサートが行なわれているところで、独りの演奏家によるヴァイオリンの弾き比べを3艇ほど聴くことができた。1時間毎に、演奏家の試奏コンサートと来場者の楽器試奏時間が入れ替わるようなスケジュールだったようだ。コンサートではそれぞれの楽器で、同じスケールを同じ弓で弾いてくれるので違いをつかみやすい。主観が随分と入っているけれど、新作楽器といっても鳴るものは鳴るし、癖の出方もさまざまで興味深かった。A線に力が無いもの、3rdポジションでの鳴りが凄いもの、E線がキンキン言うもの、低音に深みのある鳴りがあるもの、十人十色である。

試奏コンサートが終わると、会場に詰め掛けていた100人弱ほどの来場者が一斉に、これまた40艇ほど出展されていた楽器を試奏し始める。ちょっとカオスな風景だった。同じフレーズを繰り返し念入りに試奏する人、ここぞとばかりに超絶技巧を見せてくれる人、始めたばかりなのかおっかなびっくり楽器を弾いている人、辺りはオーケストラが演奏前に行なうチューニングを更にぐちゃぐちゃにしたような音と人々の話し声で溢れていた。「弦楽器」の展示ということで、ヴァイオリンの他にもチェロなどの出展もあり、面白いものではヴァイオリンとヴィオラが1台になった5弦の楽器などもあって、色々と刺激を受けた。


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僕的には上写真の1艇が一番バランスが良く、しかも鳴っているような印象を受けた。この楽器は鈴木さん製作で、数少ない女性職人によるもの。弦高が明らかに他の楽器と比べて高かったのが、鳴りの原因かも知れないが、この楽器は弾いていて気持ち良かった。製作者とも話が出来るのもいい。弦高が高いのは、スケジュールが押してしまい、駒の調整を念入りに出来なかった為なのだそうだ。つくりに関しても、期限に間に合わせる為に泣く泣く妥協したところもあったのだそう。なるほど、締め切りがあると結構大変なんだなということを思う。

そういう裏事情を教えてもらうと、他の展示楽器で感じた「詰めの甘さ」みたいなものが思い出されてくる。ニスが完全に乾いてないのでは、というものもあったし、期限があるとそういった弊害みたいなものも出てくるのだろうか。もしくは新作だから慣らし運転をしていないという部分もあるだろうし、僕の腕の無さが影響しているというところもあるだろう。けれども、1艇1艇まるで別人のような鳴りと個性を持っているところは、楽器製作の奥深さと面白みである。どれが一番いいのかというのはコンクールで行なうべきもので、この展示会で僕は、沢山の楽器をなるべく主観を殺して客観的につかむことに努めていたけれど、なかなかそういうことは難しいことも痛感した。








場所を都心から今度は横浜へ移動して、みなとみらいにある島村楽器で開催中の弦楽器フェスタへ。

オールドやモダンに新作を含め、イタリアを中心にヨーロッパの楽器が展示されていたが、興味深いのは、ヨーロッパの新作と先ほどの弦楽器研究会の新作楽器が、まるで違う雰囲気と佇まいをしていたところだろうか。簡単にいうと、日本人の製作した楽器は「新作=新品」という感じで、綺麗な外観をしている。確かにニスをオールドっぽく塗ってあるものや、傷をつけているものもあったけれど、ヨーロッパの新作は、新作なのにオールドっぽく仕上げられているところが面白い。通常、スクロール(ヘッド部分の渦巻き)は調弦の際に長年に渡って触られるために、磨耗して木材の角が落ちてくるが、ヨーロッパの新作の全てがそうとは言わないけれど、その辺の経年磨耗の具合まで再現して新作楽器を製作しているところが日本とは違うように思えた。どちらかというと自分はあまり好きではないのだが。


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こちらの展示会で惹かれたのは上の1艇。チェコのVaclav Pikrt(ヴァーツラフ・ピクルト)氏によるもので、これでも新作なのだ。ヴァイオリン製作でも有名な一族(系譜)はあるもので、チェコにはシュピードレン家という名門がある。そのファミリーのヤン・シュピードレンの唯一の弟子がピクルトなのらしい。ピクルト自身はもともと彫刻家として活躍したいたらしく、モノとしての美しさが存在していた。音も自分の好きな音色である、ねちっこくて深みのある音で、モデルはストラドらしいけれどガルネリっぽい感じがしないでもなかった。透明で煌びやかな音の方が総じて評価が高いような風潮があるけれど、僕はこういった渋くてどちらかというと暗い音のほうが好きなのだ。

他にも現代イタリアの名工の作品が沢山展示されており、沢山の楽器を試奏することが出来たのは収穫だった。名工ともなると、新作なのに物凄く鳴る。弦楽器研究会の新作とは比べ物にならないほどだった。何が違うのだろう。弓という要素もあるので難しいところである。研究会の展示会では、さほどいい弓を提供しているようには思えなかったので、もしかしたらいい弓で弾いたら同じくらいなったのかも知れない。この辺が楽器試奏の難しいところでもあるし、また沢山弾きすぎて何が何だか、自分の感覚が良く判らなくなってしまったというのが悔やまれる。

あと、金額的に高くなればなるほど、弾いている自分の感覚としてはA線のパワーが無いように思えたのが不思議だった。演奏側と聴き手では音の印象も違うだろうし、その辺も詳しく調べてみたいところである。今回は独りで両展示会を回っていたけれど、運よくこちらの会場では友人も出来たし、彼も同じく演奏するので、今後は2人で展示会を回ってみたい。弾き手と聴き手の印象も判るだろうし、1つの楽器について演奏してみて客観的に(とらえるのは難しいが)意見交換が出来るのもプラスになると思う。次回の開催は5/24・25の新宿PePe店。Marcello Belleiの講演会もあるので、時間が取れれば出掛けてみようと思う。



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by Tashinchu | 2014-05-17 16:30 | Instruments | Comments(0)

15052014

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by Tashinchu | 2014-05-15 12:30 | Books | Comments(0)

13052014

約1年ぶりの再会。彼に出会っていなければ、今の日本での新生活は無かったように思う。カナダでひょんなことからMt.Temple Scramblingで一緒になり、その後色々と話をしている内にカメラとViolinもやるということが判った。CD屋でのバイト歴や、良く聴く音楽のジャンルまで一緒。何といっても一番は松坂世代。同級生と言うのは不思議とすんなり仲良くなれてしまうものだ。



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この日はヴァイオリンの弓を探しにという感じで、K澤楽器へ御邪魔して色々と試させてもらった。このところのフレンチ弓の価格の上昇は凄いものがある。銀行定期や諸々の投資よりも断然いいのではないだろうか。元本割れはまず無いし、毎年値上がりをしているように思うほどだ。金とは違って折れたら終わり・火事に弱いという欠点はあるけれど、楽器という意味だけでなく美術品としての価値があるとも思うので、興味のある人はちゃんとした出所のものをそろえるというのもありかも知れない。


フレンチ、ドイツ製の弓の他に、カーボン弓も試させてもらったが、最近のカーボン弓の新化には驚いた。ちゃんとコシがあって、しかも軽くて歪みやねじれに強いときている。おまけに安い。この楽器店では、最上級のカーボン弓が10数万で買えてしまうから驚いた。練習の度に木製の高額弓を酷使することで、長期的に見た場合に、木をヘタラせてしまうことを考えると、練習時はカーボンでという選択肢は大いに歓迎できる。かといって直ぐに買えるほどのものでもないのだけれど、のちのち1本持ってもいいかなと思わせるほど、カーボン弓の扱いやすさには感動した。



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その後はコントラバスの製作見学へ、というか授業の隣で行なわれているのを見ていた。技術者が自身の技を公開してくれる機会は弟子入りするくらいしないと無いことなので、とても良い経験をさせてもらっていると思う。核は見せてはいないかも知れないけれど、木材や工程・歴史のことなど、色々聞けるので非常に勉強になっている。外部の人も見学可能なのでちらほらとではあるが、ギター畑出身の人や同業者の出入りがある。今後も楽器が出来上がっていくさまを目に焼き付けていくつもりである。






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僕らの年齢以上もある、Sweden生まれのケーキプレートをいただいた。耕くんありがとう!

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by Tashinchu | 2014-05-13 17:30 | Instruments | Comments(0)

11052014

カナダで暮らしていると一眼レフが欲しくなる。そして何故だかギターも弾きたくなる。しかもアコースティックギターでなければらならないところに共感できる人も多いはずだ。そして、クライミング(もしくはスキー、バイク、釣りなどのOutdoor Activities)を始めてしまう、もしくはのめり込んでしまう人も結構いるだろうと予想する。


素面(しらふ)の僕が一番騒がしかったかも知れない。がしかし、料理が美味しいと話は弾むものだ。話題は終始そんな感じで、Bow Valleyのことで持ちきりだった。気付いたら終電に乗り遅れそうな時間になっていた、というか携帯を夕食会会場の友人宅に置き忘れ、乗り遅れた・・・。タクシー帰りを覚悟して乗り継ぎ電車に乗ると、遅延の影響で遅れが取り戻されたらしく、終電に間に合うというミラクル。思い出してみれば、カナダでの生活はこんな感じのエキサイティングな毎日の連続だった。日本の生活が詰まらない訳では決してないが、ああいうドタバタの毎日(=日本の常識が通用しない日々)を体験できたのは貴重な経験で、あれが無かったら僕の人生は何とも味気ないものになっていたように思う。


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コゴミのおひたし、カブのソテー、ソラマメに、つくね入りの水炊きを自家製ポン酢で頂く。




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半年振りという感じが全くしない再会。




会話に夢中で主催の2人と写真を撮り忘れるという、これまたドタバタの食事会だったけれど、今回集まったみんなは、それぞれ違うところに生きていても、ひとつの話題で盛り上がれる素敵な仲間みたいなもんだなと感じた。今日初めて出会った人たちも居たけれど、Bow Valleyというひとつの共通項を持っていて、そして近くに居て変わらず遊べるのが素晴らしい。車がなくても過ごせるのは、ここのいいところ。広大な大地を有するカナダでは不可能だ。それぞれの場所でそれぞれの生き方がある。

“日本と海外とか言う線引きは無意味なのかも知れない”と、共通項とは正反対の感覚も同時に引き出されてきたけど、ボーダーレスな雰囲気の中で、諸々のUpdates交換会は進んでいった。鍋と同じくごった煮な感じである。流石、料理人の作る食事は、家の味でない味覚で素材が攻めてくる。美味しい料理と楽しい時間をありがとう。また何となく集まって、遊びましょう。

この夜の世田谷は、フィッシュマンズの「宇宙 東京 世田谷」の世界そのままで、ふわりふわりと揺らぎの中を進んでいるような時間だった。もう、気分は空中キャンプ。そういえばビールをグラスに半杯飲んでいたん、だっけ?

“そんな感じで そんな感じで そんな感じで いい”じゃないの夜。今日はフィッシュマンズを聴こうと思う。

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by Tashinchu | 2014-05-11 20:00 | Foods | Comments(0)

10052014

東京には、ハトとカラスにスズメくらいしかいないだろうと思っていたけれど、結構いるものだ。そこまで珍しい鳥には出遭わなかったけれど、引っ越して初めての鳥見は充実したものだった。近くには玉川上水が流れていて、大きな公園もいくつかあるので、暑さに勝てるようであれば、また出掛けてみようと思う。


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ムクドリ(White-cheeked Starling)



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ヒヨドリ(Brown-eared Bulbul)




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シジュウカラ(Great Tit)



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カルガモ(Spotbil Duck)



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メンフクロウ(Barn Owl)





このメンフクロウは野生ではなく、フクロウ専門の野鳥屋軒先にとまっているのを撮影したもの。住んでいるところから2丁目ほど隣に、こんな店があるとは。カラフトやGHの姿もあったけれど、北米の自然の中を自由に飛んでいる姿のほうが迫力も感動も断然上である。毛並みやなんかを近くで見られるのはありがたいけれど。



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by Tashinchu | 2014-05-10 12:00 | MISC. | Comments(0)

05052014

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夏を先取り、ゴーヤチャンプルー。

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by Tashinchu | 2014-05-05 19:00 | Foods | Comments(0)