音・岩・光

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27042014

鎌倉は雨が似合う。

200円の透明ビニール傘で歩くのは気が引けるが、JR鎌倉駅から小町道りへ入ると、色とりどりの天道虫が道いっぱいに行進をしているように見えた。GWが始まったんだなと思う。


沢山の傘の列に別れを告げ、やってきたのは神奈川県立近代美術館、通称は鎌倉館。鶴岡八幡宮へ向かう人は多いが、その境内の一角にひっそりと存在しているこの建物へ来る人はそんなに居ないようだ。八幡宮の大きな鳥居をくぐると参道の両側に池が広がっていて、その左側の池の向こうに見える四角い箱のような建物を何となく覚えている人もいるだろう、それがこの近代美術館である。入場口は鳥居からではないので看板をしっかりと確認する必要がある。

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この鎌倉館が存続の危機に立たされている。飛騨高山の更新でも登場した、ル・コルビュジエ(コルビジェ)のモダニズム建築の影響を受けているこの建物。それもそのはずで、デザインしたのはコルビュジエに師事した坂倉準三である。彼は他にも、岡本太郎邸(現岡本太郎記念館)や渋谷駅南館などの設計を手がけており、日本のモダニズム建築の重要人物として知られ、この鎌倉館はその時代を今に伝える貴重な建築のひとつとなっている。再開発などで、この時代の多くの建築物が日本各地で解体されている実情を考えると、致し方ない部分もあるかも知れないが、神奈川県よ何とかしてくれないものかと思ってしまうところである。徐々にでも良いので世間の関心事となってくれたら良いのだが。



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ミサオもコルビュジエやミース、フランク・ロイド・ライトと聞くと、触手が動くようだ。




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そんな鎌倉館のお仕事は当然のことながら美術館業。今回はこちらの展示会に行ってきた。とにかく鎌倉館に行きたかっただけで、開催中の展示会にはそこまで興味がないという非常に不純な動機だったのだけれど、まんまとそれを裏切ってくれるほどの凄さが、この展示会にはあった。brochureに載っている上の写真を見て欲しい。まず驚いたのは、これが版画であることだ。他の作品には、CGで描かれたとしか言いようのないようなものもあった。しかも、これらの作品が1970年代前後から90年代にかけてのものと言うのが恐ろしい。一貫して同じアプローチで作られ続けていることにも驚嘆してしまう。

館内で作品を見始めてからの数分間、何か夢でも見ているかのようで、サッパリ理解が出来ない自分がいた。作品の出来上がっていく過程を想像しても全く浮かんでこなければ、幾何学的に浮かび上がった得体の知れない模様に不安さえ覚える。今までに見たことの無いものに触れると、人間は好奇心と共に少なからず恐怖を感じる、まさにそんな時間が続いていた。彼の作品には明確なタイトルが付いていないところにも、捉えどころのない異次元の雰囲気を助長させている。「<銅のメモ>より」というタイトルの付いた作品が、ずらっと並ぶ中、胞6という作品の前でようやく作業工程が少しだけ見えてきて興奮した。茂木健一郎的に言えば、アハ体験である。なるほど、彼は実に面白いことをやっていたんだなと言う感じで、ここから以降の鑑賞は、非常に楽しいものへと変化した。


お気に入りを挙げるとするならば、
g2 キャベツを輪切りにしたような人間が、にゅうっと存在している
幽2 太平洋に浮かんだ2つの小島を、鳥瞰図で見ているよう
HOW(A) 青い気泡と水玉の胞が画面全体に沸いていて、曼荼羅のようだ
EOE(b) 子宮内を進む精子の群れ
251 判に捺され逆さになった251の数字が見え、タイトルとの関係性が唯一判る1枚
こんな感じで自分のメモには書かれている。


彼は登山家・俳人としての顔もあり、執筆した本や読まれた俳句などがドアを隔てた第2展示場に並んでいた。こちらの作品群は、第1展示場の作品群とは違い、インクを付けずに余白部分を白のまま残す方法がとられている。黒系のインクで浮かび上がった模様というか物体は、質感や形も岩そのもので、彼の自然への思いみたいなものが伝わってくるようでもある。RSで始まる作品がほとんどだったのだが、もしかしたらRSはRock StoneかRock&Snowの略なのかも知れないと勝手に想像したりもした。その中でも「RS17」という作品は、どう見ても映画127時間で主人公を襲い、岸壁に引っかかった岩のようにしか見えなかったし、「RS31」はボルダリングの岩に見えるほどだった。

そのRS31の構図は、左右に大きな岩と手前の小さな石が置かれたような作品で、右にある岩にしっかりとラインが見えているのが面白い。岩は間違いなく花崗岩であろう。豊田ボルダーのかさぶた状に貼りついた三日月型のサイドカチからスタートし、右上へとカンテを使って進んだのち、右手でカチ取り、その上のスローパーにバンプ、更に上部のサイドカチとつなげて、スタートホールドに足を乗せて体重移動で登りきるというようなルートが見えた。僕の目がおかしいのか、彼の山への情熱が強かったのかは定かではないけれど、北海道の未踏峰を次々と登っていたことを考えると、あながち間違ってはいないかもと、良いように解釈してしまう自分がいた。

山に向かう苦労や辛さと達成感がたまらなく好きだったそうで、そんな山好きな一面が垣間見える詩を見つけてニヤリ。「樹氷きらきら水道の鍵手にねばる」を見つけたとき、なんとも見事に情景を表している素敵な一句だなと思った。



予想以上に素晴らしい展示会にテンションが上がりっぱなしだったが、それにも増してこの日は更に楽しい時間が続く。夕方前には雨も止んで、道路も乾いてきた。鎌倉から大船へと移動して、森さん夫婦と4ヶ月ぶりに再会する。引っ越してからは初めてだったので、近況報告会を兼ねて居酒屋で夕食を楽しんだ。僕らは酒を飲ま(め)ないので、レストランや外食店に行くよりは居酒屋にいくほうがワクワク感がある。久々に好物の砂肝を食べられて大満足だった。何だかんだで越してきてから初めて友人と時間を共にしたのではないだろうか。引越し先を伝える際に、JR路線の最寄り駅では伝わらなかったエリアが、最寄クライミングジムで伝わるところは流石の山ヤ。外岩やJ-wallでセッション出来る日を楽しみに待ちたいなと思う。彼らは7月から研究の為にカナダへ半年間滞在するようで、そちらの記事や写真が今から楽しみである。なんだかカメラ機材も増えたようすなので、撮影会も楽しみにしたい。


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夜の大船観音。初めて見ると不気味だが、慣れたものである。



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2011年冬、大船観音前で。

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by Tashinchu | 2014-04-29 13:00 | Museum | Comments(0)

25042014

GWが近くなってくると始まる、某楽器店の展示即売会。ちょうど良いタイミングで、実家からその案内が転送されてきた。都内の開催日時も、この週末からでタイミングが良く、場所も吉祥寺と結構近かったので足を運んだ。


ヴァイオリンの歴史は、大きく言うと1500年後半から突如始まっている。それから約100年後のニコロ・アマティの時代を経て、サザビーズ・オークションでもしばしば話題になるストラディヴァリやガルネリの時代が1700年前後、ここがヴァイオリンの最盛期と呼ばれ、その後は右肩下がりに(極端な表現だが)進んでいる。名器と呼ばれるストラディヴァリやガルネリ作のヴァイオリンが誕生して300年が経ったが、この二大巨匠を越える楽器は未だ登場していない。きっと、日本の宮大工の技や日本刀職人の技などと同じく、過去のワザが失われたことが原因だと自分は思っているけれど、実際はどうなのかが気になるところである。

この日は、弓の毛替えをお願いした。北米のある都市で1度だけ毛替えをしたけれど、その出来が素人の自分も「おやっ?」となるほどだったので、楽器の為にもという訳である。その職人の腕に起因するところだけれど、弓の毛を張る前からThumb Grip(サム・グリップ)と親指が完全に離れたところに位置してしまうような毛の張替えをされていた。要は毛の長さがあり過ぎたという感じだ。Thumb Gripとは、右手で弓を構える際に親指が木の部分(スティック)に当たる場所に巻かれた、滑り止めと磨耗防止用の巻き革である。弓の毛も均等に埋め込まれておらず、テンションの掛かり方もまちまちだった。この状態で弓を張ると、弓にねじれや変な癖がついてしまうのでよろしくない。弓の毛替えは職人の腕もそうだが、数をこなした人にお願いしたい。今回の毛替え仕上がり予定は、先客もいたので2時間ほど掛かるとのことだった。その間、展示されているヴァイオリンを試奏させてもらうことにした。


まずはガスパロ・ダ・サロのラベルの貼られたヴァイオリン。ガスパロは154(?)-1609年の人物なので、アンドレア・アマティ(ニコロの祖父)と共に創始者ともいえる存在。つまり、(楽器の真偽はともかく)作られて400年以上経っていることになる。この楽器が使用に充分耐えうる状態というのが驚きだった。エレキギターの歴史はたかだか60年ちょっと。アコースティックギターの老舗C.F.Martin社でさえも200年弱なので、その倍近くの年月を生きてきたことになる。ヴァイオリン誕生期に、ここまで完成されたものが作られていたのにも驚く。素直に出てくる音、鳴りも良かった。G線(1番太い弦)の鳴りはパワーに欠けていた印象だけれど、引き込んだら鳴り始めるようなポテンシャルを秘めているようにも感じられた(僕がちゃんと弾けていないだけかも知れないが)。

「楽器は素直に低音が鳴るほうが良い」と僕自身は思っている。ギターでもピアノでも、低音がどっしりと鳴ってくれると本当に気持ちがいい。超重低音至上主義の時代もあった。笑)低音が鳴る弦楽器を探すのは実は大変で、高音とのバランスを兼ね備えた楽器は少ない。高音は弾き込むことで、ある程度までは鳴るように成るのだが低音はそうはいかない。鳴らない楽器はいつまで経っても鳴らないのだ。特にヴァイオリンは、楽器自体の大きさも小さいので低音を出る楽器作りは非常に大変なことが予想できる。

ここに経年という要因が加わると、更に低音の鳴りに支障がでることになる。大まかに言うと、木の耐久性は伐採されてからは下降線を辿るので、オールドやヴィンテージと呼ばれる弦楽器は、低音の鳴りをボディ全体に伝えることが難しくなってしまう。簡単にいうと、低音とは毎秒ごとの振動数が少ない音なので、音量も質も豊かな低音を出すためには、ボディ全体の大きな面積(体積)で振動する必要がある。しかし、経年劣化すると低音の振動が効率良くボディ全体に伝わらなくなってしまう(と思っているが実際はどうかは?マーク)。



さて、ここで興味深い仮説を挙げてみようかと思う。オーケストラ団員が演奏前に各楽器のピッチを合わせる作業があるが、その基準となる音は「ラ」の音で、僕らが小さい頃は440Hzで調律されていた。ヨーロッパから始まったと記憶しているけれど、そのピッチは最近では442Hzがスタンダードになっている。ラ(=A)の音がほんの少しだけ高くなったということは、他のドレミファソシの音も高くなるということで、全体的に調律が上がることを意味している。一説には、2Hz上げることで曲の印象がより華やになるということを聞いたことがあるが、もしかしたら低音との関係もあるのではないかという妄察だ。

どういうことかというと、弦楽器の耐演奏年数が終末を迎えているので、低音が極々微々量ながら出にくくなったのを補う為に、苦肉の策でピッチを2Hz上げたという考え方だ。ちょっと強引かも知れないが、あながちそうでないこともない気がしてしまう。今後そのピッチが更に上がっていくようなことがあれば、この仮説も更に信憑性を増していくのではないかと思うし、同時に、ちょっと悲しいことではあるけれどストラディヴァリやガルネリの名器やオールドイタリー楽器の寿命が迫っていることをも意味するだろう。弦のテンションも初期時代と比べて強くなっている(=高音が出やすい。それだけ部材に負荷がかかる。)ことも理由のひとつであるかも知れないが。



さて、時代は進んで、ピエトロ・ガルネリとガルネリ・デル・ジェスのラベルのヴァイオリンも試奏させてもらったが、明らかにガスパロの楽器よりもパワーがあるのが判る。音はいかにもガルネリでストラド(ストラディヴァリのヴァイオリンを総称して、こう呼ぶらしい)の煌びやかな音とは違い、渋い音と表情がある。僕的にはガルネリのほうが好きかも知れない(所有することはまずないだろうし、買えないけど)。ビックリするのは倍音の出方で、何百年も弾かれているので素直に音が出てくることだろうか。自分の音程が定まらないのが良く判る。苦笑)ここまでの楽器を使わなくても、ちゃんと調整された良く鳴る楽器を使えば、オールドでも新作でも音程の練習には事欠かないのではないだろうか。良い楽器は、そういった意味で、上手いも下手もちゃんとレスポンスしてくれるのである。

他にもガリアーノや、新作楽器、モダンイタリーなどを沢山弾かせてもらったけれど、今回の一番の収穫は、言葉は悪いが作りが雑でも良い音はすると言うことに尽きる。ガスパロの楽器はプンタ部(ヴァイオリンのくびれているところの出っ張り、コーナー部分)が上下左右で対称にはなっていなかったし、ガルネリのスクロール(頭の部分の渦巻き)は表板の駒側から見て、少し右に曲がっていた。どの楽器だったかは覚えていないけれど、側板が薄っすら弧を描いているものもあったし、裏板の張り合わせ(2枚板)も真ん中ではなく、右にズレている楽器もあった。当時はノギスなどは当然なかったので、板の厚さもまちまちなのだろうと予測できる。しかし、音はしっかりしている訳で、現代のヴァイオリンが巨匠の楽器に勝てないのは、その辺なのではないかとも感じた。もちろん、ニスの制作方法は判らないし、木材も古くて木目の詰まったものを使えなくなってきた(温暖化も少なからず影響している)など、理由は複雑に関係しているはずだが、規格ばかりが先に来て、大事なところ(=木の性質や癖を読み取り作る)を忘れてしまっているような気がしないでもない。ガスパロの楽器はそういった意味で、自由で個性に溢れていたし、設計図などは使わずに一気に作ったような印象だったけれど、それでも音が良かったことが、失ってしまったものが何なのかを教えてくれているように思う。

ニスのことや弓のことなど、まだまだ書き足りないけれど、どうにも長くなり過ぎてきているのでこの辺で。


5月17-18日は池袋で新作楽器の展示会があるそうだ。
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by Tashinchu | 2014-04-25 15:00 | Instruments | Comments(0)

24042014

しながわ区民公園周辺には、水族館の他に競艇場と競馬場がある。公園自体は緑や土がいっぱいで、都会の隅にひっそりと佇むオアシスのようだ。面積もあるので無料の自転車レンタルをしているが、何故にギャンブル場が公園を取り囲むようにあるのか。まぁ、この辺がTOKYOな感じがして、ある意味面白くもある。僕らは公園を通り抜けて、水族館から大井競馬場(略してTCK)へと足を運んだ。

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初めての競馬場。入場料は100円。馬券に命を懸ける男たちで、ごった返していると思いきや、平日と言うこともありそうでもなかった。休日、それもG1レース(を大井でやるのかは不明だが)や重賞レースが組まれているときは、相当の人出になる感じはした。この日の最終レースは東京プリンセス杯だったので、女性への割引特典があるらしく女性客の多さが目立っていたように思う。最近の競馬場は、僕の想像していた3K(臭い・汚い・危険)なイメイジと違って、キレイで環境も良さそうだった。最近出来たらしいスタンドの現代的なことといったら、なんともお洒落な場所だった。


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古くなった、この隣にある2つのスタンドは建て替えるらしい。


馬券の種類(単・複賞、連勝単式・複式など)も知らず、馬券の買い方も判らないままやってきてしまったので、訳の判らないままとりあえず200円買ってみたところ、ビギナーズラックで当選。200円が220円になった。窓口で馬券を買うのだと思っていたら、最近はマークシートを塗りつぶしていくものが主流なようだ。ただ、これが余計に良く判らない。そんな訳で、無料で行なわれているビギナーズ・セミナーへ参加して、馬券の記入方法や競馬新聞(競馬場が無料配布している方)の見方などを教えてもらう。実際のところ、場外でも馬券は買えるし、ネットでも買えてしまうのだそうだ。やりはしないだろうけど。

第3レース(R3)から参戦して、7Rまでレースを楽しんだ。パドックで見る馬たちは、Tim Hortonsのキャンプで見ていた馬とは違い筋肉質だった。余計な脂肪がなく、いかにもアスリートの体つきをしているのがサラブレッドらしい。そして、鞍のまた小さいこと小さいこと。出走馬用の鞍は、飾りも無ければ作りも超シンプル。必要最低限のもの(座るところと足を掛けるところにベルト)しかなく、ラングラーが使っているものとは真逆の位置にあった。でも、パドックに漂うニオイは同じでちょっと安心する。笑

パドックで馬を見て賭ける訳だが、素人の自分でも、恐ろしいほどに違いは判るものだ。それで勝ち馬が判るほど、競馬は簡単なものではないが、大腿部の太さや歩き方、姿勢など、それぞれに個性があって、賭けをするというよりは馬を見るだけでも楽しめるような気がする。そちらにベクトルを向けている人もいるようで、カメラを向けてパドックの馬を撮っている姿もみられた。競馬の楽しみ方はそれぞれだ。

セミナーの講師は、「ここは地方競馬場なので、中山や府中の中央競馬は規模も雰囲気も全く違うから、行ってみると面白いよ。」と教えてくれた。中でもG1開催日は凄いことになるらしい。府中は家からも近いので、馬を見に足を運んでみようかなと思う。


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by Tashinchu | 2014-04-24 16:30 | Amusement | Comments(0)

24042014

しながわ水族館へ。

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大人、1,350円。品川区民や在学・在勤者はローカル割引があり800円。

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by Tashinchu | 2014-04-24 13:00 | Amusement | Comments(0)

23042014

電車の吊り広告には、週刊誌の派手な見出しに負けないくらい沢山の、収蔵・企画展の案内が並んでいる。ケベック州出身の友人にイワシの瓶・缶詰めと形容された日本の満員電車の中であっても、iPhoneやタブレットを操作する人々の器用さ(その空間をどう生んでいるのか)には感心してしまうが、水平よりも下に目線をとどめていると覗き見しているように見られはしないかという無駄な心配をしてしまうので、吊り広告やドア上に示された路線図と、その横に設置された小型TVを眺めるのが、僕の満員電車でのセオリーになっている。

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この「夢見るテレーズ」は日本初公開
 

4月5日、乾通り桜並木道の一般公開へ足を運んだ。しかし既に規制が入っており、入場することが出来なかったので上野公園の桜を見に行ったのだが、ここでも雨に降られて直ぐに退散という散々な午後を過ごした。という訳で、ちゃんと上野に来るのは小学校の修学旅行以来ではないだろうか。今でも、上野が東京のどの辺りにあるのか皆目見当もつかないけれど、この一帯は国立の博物・美術館が3つ、更に上野の森美術館や黒田記念館に上野動物園などがあり、とにかく広かった。「あれ?こんなに建物があって、広かったっけ?」と、記憶の中の上野と実際に見ている上野の違いに驚くが、子供の頃の記憶なんてそんなもんだろうと、持参したおにぎりを木陰でミサオと食べる。新緑の葉を広げるケヤキなどの並木を見上げながら、そこそこの距離を上野駅から歩いて、期間が始まったばかりのバルテュス展の会場である東京都美術館へやってきた。


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少年時代のバルテュスは基礎もさることながら、吸収力があり何でもトライしようとする好奇心があったようにみえる。どの人間であっても、その人の色・味は、人生を送る過程で出来上がっていくものなので、ほぼ全員の画家が若い頃にしたように、様々なスタイルや画風の絵を沢山描いていることが、彼の初期の作品から判る。「ベルンの帽子のある静物」にはセザンヌ的アプローチが見られたし、公園シリーズからの2点の出品には緻密さと構成力に光るものがあり、その2枚は対照的で「空中ごまで遊ぶ少女」は淡く黄色が印象的、かたや「リュクサンブール公園」はコントラストが高めのどっしりとした緑が美しい作品だったりと、片っ端から試してみるというのは、当時の彼にとって大切なプロセスのひとつだったに違いない。気になったのは、この頃の風景画は空の色が青く描かれていないことだろうか。思春期の葛藤なのか、何だかスカッと抜け切らない印象を受けるけれど、むしろそれが作品の重厚感を生んでいるようにも感じられた。




彼の代表作であり、広告でも使われている「夢見るテレーズ」は圧巻だった。平日にも関わらず沢山の鑑賞客が館内を同時に周っているので、目の前を人影が通り過ぎるたびに気が散ることがあったけれど、この作品を見ているときは、そういったノイズなどは気にならないほど作品に吸い込まれていたように思う。描かれた2台の椅子が違うタイプなところ、後ろにあるデスクと壁との位置関係(遠近感)が変なことなど、全体を見ると不恰好な感じを受けるが、辺りを気にせずのん気にミルクを舐めている緊張感のない猫が、作品に日常の臨場感とピンッと張り詰めた緊張感を与えていたりもする。おおよそ真実っぽくない背景の上に、浮かび上がるテレーズだけが真実であることを強調しているかのようだ。しかし、背景に配置された他のものが、しっかりと名脇役ぶりを発揮しているところにも凄さを感じる。非常に計算された作品である。

もしかしたら、向井秀徳の見ていた少女は、きっとこんな感じの少女だったのではないだろうか。大人と子どもの中間に位置する少女が、女性になる前に垣間見せる、無垢で危険な妖しさを描いたこの絵は、そんな想像をもさせてくれる。隣に展示されている作品「兄妹」の中に描かれたテレーズは、いたって普通の女の子だった。兄(弟かも)に主導権を握られているように見える彼女が、他方の絵の中では、静かに、けれども妖しく輝いている様は、戦闘的であり挑戦的だ。“夢見る”の彼女は、スキャンダラスな姿ばかりに目がいく感じもするけれど、「兄妹」のテレーズを見たことで、ポージングからだけでは見えてこない、彼女自身が内面に持ち合わせている魅力と美しさにも、意識を向かわせることが出来たような気がした(ただ単に、日常を切り取っただけなのかも知れないが)。バルテュスに少女を描かせたら、彼の右に出るものは居ないだろう、という思いが強くなる。




彼は裸婦を多く描いているが、一糸まとわぬ完全な裸体を描いていない(少なくとも今回の展示作品の中ではそうだった)。そこには、彼の何かしらの意図と思いが見え隠れしているような気もしてしまうのは考えすぎだろうか。彼の妻節子さんがモデルとなっている「黄色い着物を着た日本の女」の半裸女性は、彼の描く西洋女性(少女)の誰よりも白い肌で描かれているところも、何か意味ありげに感じられてしまう。バルテュスは何故、女性を描き続けたのだろう。古典美術やシュルレアリズムに対する抵抗なのだろうか。彼はどんな考えと意思でもって、絵を描いていたのか、純粋に完全なる美を表現したかっただけなのだろうか。ただ、ある種ここまでの完成形を見せられると、彼のスタイルは確立されていることが明らかだろう。

ピカソが言った「最後の巨匠」の意味は、もしかしたら“流行りや時代、主義主張に流されないオリジナルな部分を追及し続けた画家”ということなのかも知れない。色んなことを考えるよう仕向けられたような回顧展だったけれど、最後に並んでいた、バルテュスと節子さんが一緒に写っている写真が、非常に微笑ましく素敵だった。難しいことは抜きにして、楽しく過ごし笑顔でいることが一番なのは言うまでもないだろう。

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今回の回顧展のbrochureより



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by Tashinchu | 2014-04-23 12:00 | Museum | Comments(0)

13042014

叔父達が地元の川に朝早くから渓流釣りに来ていたようで、釣ったばかりのアマゴ(雨子・天女魚)を炭火焼で頂くことができた。朱色の斑点があるものがアマゴ、ヤマメ(山女)はその斑点が無いものなのだそうだ。久々に賞味した川魚の塩焼きは、ふわふわのほくほく。海の赤身魚とは違い余計な脂がないので非常に淡白だが、鮎や山女などと同じく独特の食感がたまらない。味や臭みが殆ど無いので、炭の香りが皮に染み込んでいるのも良く判る。かぶりついた瞬間に口の中で広がっていくその香り楽しむのであれば、醤油よりも塩で頂いたほうが良いだろう。川魚でしか味わえない美味しさである。

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by Tashinchu | 2014-04-13 13:30 | Foods | Comments(0)

05042014

本日は清明。二十四節季のひとつで、沢山の花が咲き乱れる頃なんだとか。満開の桜の他にも、沢山の花が咲いている。

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by Tashinchu | 2014-04-05 10:00 | Photograph | Comments(0)

02042014

6年ぶりに見る桜。日本の春は、春らしくて好きだ。

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by Tashinchu | 2014-04-02 16:30 | Photograph | Comments(0)

01042014

「平面と直線」

西洋と日本の建築を大雑把に言い表すと、そんな風に言えるのではないだろうか。少々強引だが、面と面を組み合わせていくのが西洋。かたや日本の建築は、大黒柱という言葉があるように線が主体となっており、柱(縦線)と梁(横線)が絶妙なバランスで組み合わされて家屋がかたちづくられているように思う。そこに襖や障子、さらには屏風や衝立といった可動式の面を組み合わせていくことで、その空間を何通りにも切り取ることが出来るという、大変合理的な構造を持ち合わせているのが日本建築・生活様式の良さではないだろうか。今回、高山の町屋作りを訪れて、ますますそういう意識が強くなった。

下呂温泉合掌村を離れ国道41号線を北へ60kmほど進むと、“飛騨高山”という呼ばれ方でお馴染みの高山市が見えてくる。ブルーノ・タウトは当時、大変な雨の中をバスやタクシーを駆使し、何日も掛けて飛騨山中を進んでいたようだ。すれ違うのもやっとな道幅を器用に縫って進みながら、自慢の喉まで披露してくれる運転手に感動したようなことが書いてあったが、今ではその影は微塵もない。僕らは、NHK-FMでちょうど放送していた「くるり電波」の再放送を聴きながら、道の駅ではスタンプラリーのスタンプを捺し、運転すること僅か1時間ちょっとで本日の第2目的地、吉島家住宅のある市内へと到着してしまった。なんともあっけないドライブだったけれど、下呂(の由来というか)から上流に向かって中呂(ちゅうろ)・上呂(じょうろ)という地名があることに感激した。上中下ということだったのね、である。


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大好きな観光Maps


高山市はその昔、直轄の城下町だったこともあり、風情のある景観を残した古い町並みが観光客を迎えてくれる。けれどもタウト的には“品のいい玄関なのに、郵便ポストという趣味の悪いものがくくりつけてある”のはNGなんだそうだ。現代の日本を彼が見たら、ポスターやPOPで溢れた入口をどう思うのであろう。相当のダメだしを喰らってしまいそうだが、同市では景観保全にも力を入れているようで、この町屋の残る区域ではカーブミラーが四角く木枠も取り付けてあるなど、その景観保全の努力を見ることが出来る。飛騨の小京都といった感じである。

通りに並んだ建物の多くの入口には、酒屋の面影を残す茶色い杉玉が軒下に吊るされている。これはその酒屋がどんな状態なのかを示すバロメータになっているらしい。人力車を引く青年の話を小耳に挟んだのだけれど、その杉玉が緑色の新しい玉に取り替えられたと言うことは、この蔵で今年の新酒が出来上がったよの合図なんだそうで、その杉玉の枯れ具合(茶色への変化度合い)で酒の成熟度を知ることまでも出来るらしい。ふむふむ。



吉島家住宅にも同じように杉玉が下がっており、数学でいう「=(イコール)」にも見える白い2本の平行線の紋が入った、紺色地の暖簾をくぐると土間兼受付に出られる。この土間が一気に日本の家を感じさせてくれるのだけれど、吉島家の土間(飛騨では一般的なのか?)は土を踏み固めたものではなく、土というよりは漆喰のような色と硬さをもっているのが興味深かった。年月のたった建材の濃い茶色と土間の灰色とのコントラストが美しい。赤土と石灰に塩を混ぜた土間は「叩き」と呼ばれ、コンクリート並の強度を持ちながらも撓(しな)やかに土台を支えているのだと、館内のおばさんが丁寧に教えてくれた。塩は、海のない飛騨では貴重品だったのではないかと想像するけれど、さすがは豪商、土間にもそういったこだわりが伺える。塩の道はこの辺りにも通っていたのだろうか、それについてはおばさんも知らないらしく、ちょっと気になるところである。

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土間に一歩足を踏み入れると外の音が聞こえなくなる。


土間に立って上を仰ぐと、見事な柱と梁の格子組みが伸びており、そこにお昼の光が直線的ながらやんわりと差し込んできていた。その光がつくる影と陰に浮かんでくる檜(柱)や赤松(横木)の木々の組は、まるで教会のステンドグラスのような崇高さを、下で見上げている僕に抱かせる。ここでも西洋のステンドグラスが面ならば、日本人にとってのステンドグラス的なものは線で表現されている感がある。色彩がほとんど無いところも日本人的だ。非常にシンプルで無駄がない。チャールズ・ムーアが、“今まで見た中で最高の日本建築だ”と言ったことも、伊藤ていじがこの吉島家を見てその素晴らしさのあまり、この住宅を賞賛+紹介する本まで書いてしまった理由も、これを見れば明らかだ。下呂の合掌村で話をした陶芸家のS田さんは、あのロックフェラー財団が吉島家を買いたいと申し出た逸話を紹介してくれて、絶対に吉島家は見るべきだと推してくれてもいた。琴線の触れ方は人それぞれなんだろうけど、この邸宅が人々を魅了する理由が良く判る。僕は屋根裏の組みに見入りっぱなしだった。

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登ってみたくなるのは僕だけだろうか。。。


住宅は大きく分けて5つのエリアに分かれていて、それを順に見て周ることが出来る。何度も書いているけれど、空間の発生させ方がホントにいい感じである。2階なんかは各部屋に段差が出来ており(光を取り込むためにそうなっているらしい)、遊び心というか秘密基地のようなワクワク感まで持ち合わせている。何だか人物名が沢山登場してきているけど、ル・コルビュジエ(コルビジェ)は、“建築は「柱・床・階段」の3要素があればよく、空間演出は住む人に委ねられるべきだ”という近代建築のモデルを提唱したが、そういった考え方が僕らの生まれるずっと前の時代から、既に一般民家のレベルでも採用されていたことに驚かずにはいられない。今後も、この国がもつ柱と梁・障子と襖の文化が、ずっと残っていって欲しいと思う瞬間だ。


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この波打つ歪な手作りガラスがたまらない。硝子と書いたほうがしっくりくる。


効率や便利さだけが求められるような世の中では、断熱材もなければエアコンもない家は住み心地が悪く、何かと大変だ。しかし、こういった日本人的空間認知能力は、資本主義的なものをとは対極的な位置にありながらも、僕らを魅了する。それはきっと、守り続けられてきた時間と歴史がなせるものなのであろう。日本の資本主義社会の歴史は、たかだか150年足らず。この空間へ実際に入り込んだときに、難しいことは抜きにして何かしらの素晴らしさ感じられる内は、景観であり文化でありを守っていこうという気運を、人々が持ち合わせている証拠だという風にも感じられた。それはタウトが求めた素朴さとは違うところではあるけれど、日本建築の良さが後世に伝わっていくことをしっかりと予感させてくれる。

高山に行くのであれば必訪の吉島家住宅。隣の日下部家もオススメです。



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by Tashinchu | 2014-04-01 12:00 | Architecture | Comments(0)

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ドイツの建築家ブルーノ・タウトが著した「日本美の再発見(篠田英雄訳)」を読む前から、合掌造りは生で見てみたいという欲求がかねてからあった。この本を読んだことで、“何としても早急に行かなくてはならない”日本建築のひとつに合掌造りの家屋が躍り出たのだが、こんなところでお目にかかることが出来た。下呂温泉某旅館に勤めるミサオの契約期間が3月末で終わったので、迎えに行くついでに白川郷まで足を延ばしてみようと思っていたらの、なんとも嬉しい誤算である。そう、下呂温泉には世界遺産の白川郷で有名な合掌造りの屋敷を移築して作られた、合掌村という観光施設があるのだ。


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旧大戸家住宅(国指定重要文化財)


ちなみにタウトの「日本美の再発見」は岩波新書の赤本シリーズ(?)で出版されている。Aマゾンでは穴の開いた銀色の硬貨1枚分の値段で出品されているのを見かけたことがある。

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この本については、宮大工棟梁の視点で見る社寺建築鑑賞指南書2冊と共に、おいおい感想文を書いてみたい。京都の桂離宮、伊勢の伊勢神宮、そして白川郷周辺の合掌造りをベタ褒めし、日光東照宮をコケにした本である。


正確を期すのであれば、下呂にある合掌造りの家屋は白川郷出身ではあるものの、それとは違うので、タウトが感動した合掌造りを実際に見ていることにはならないだろう。時代も随分と進んでしまっている。白川郷の合掌造り茅葺屋根は、冬の短い日照を最大限に効率よく受けるため、全て同じ方向に建てられていることをTVの番組で見たことがある。この下呂温泉合掌村は合掌造りの家屋数件を移築・再現しており、屋根の向きはバラバラで好き勝手な方角を向いている。散策と見学順序を考えてのことなので、導線としてはこちらの方が理にかなっているが、合掌屋根の両斜辺で茅葺の厚さが違う理由を、実際に現場に立って家屋の向きから考察してみようとなると、これでは統一性が無いので、そういった現地での発見的な感動にたどり着くことはない。

本物という意味では、この合掌村は外れてしまうのだろうけれど、ミサオ曰く「白川郷は観光地化してしまって、人もいっぱい居るしゆっくり落ち着いて見られないよ。」ということだったので、結局のところはどこも同じなのだろうと感じた。そういう意味では、ここを訪れる観光客は少ないので、家屋内を撮影したときにも人影が入らない点や立ち止まっても流れを止めることもないので利点は多い。きっとあちらはサインも観光客の数も、うんと多いような気がするので、ゆっくり見るのであれば下呂でという選択肢もアリだろう。岐阜県内の民家では国指定重要文化財第1号(1956年・昭和31年)の旧大戸(おおど)家住宅をはじめ、旧岩崎家・旧遠山家(国登録文化財)などの合掌造りを、周りを気にせず見られるアドバンテージはこちらの方にある。多くの世界遺産や名所で、観光客の多さとお土産屋・宿泊施設の乱立した状態を見ているので、合掌村は穴場といえる存在なのかも知れない。集落の白川郷、合掌造りの下呂温泉合掌村といった感じだろうか。白川郷へ行き、両者を見てからこういうことは書いた方が良いのだろうけど。。。

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最初、入場料大人1人800円というのに面食らってしまったが、実はここには円空館があることを知り、それを忘れるくらい一気にテンションが上がった。本日2つ目の嬉しい誤算である。他にも、下呂温泉の源泉(だと思う)を使った足湯や料理の神様として知られる飛騨高椅神社があり、陶芸体験(要予約)・絵付け体験も出来るので、時間があればじっくりと周ってみるのがいいと思う。岐阜にはいい土があるのだろうか、下呂にやってくる道すがら陶芸家や窯元の看板を良く見かけた。

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円空は、その生涯でおよそ12万体もの神仏像を彫ったとされる遊行僧である。食事や宿、衣類などの施しを受けたお礼に、庭の立ち木や軒先に積まれた薪を使って見事な神仏像を完成させることもあり、拠点となっていた時期の長い飛騨周辺では、寺社のみならず、一般の民家にも彼の残した神仏像が数多く残っている。木の捩れや曲がり・反りをそのまま巧みに活かした彫りが特徴で、丁寧な仕上げ彫りまではしない像が殆どだが、それが返って一体一体に勢いと迫力、そして躍動感を与えることにつながっている。荒削りで彫り線も少ないため、木そのものが自ら神仏像へと姿を変えたような感じさえするほどである。エピソードとして、薪割りの際に出た木っ端で像を作ってしまうこともあったというのだから、彼には木っ端にも神や仏の姿が見えていたのだろう。さすがは円空だ。

館内は撮影可だったので、気分は土門拳な感じでカメラを向けさせてもらった。もちろん撮影前に手を合わせさせてもらっているけれど、僕なんかが神仏を撮らせてもらうのは申し訳ない気持ちになる(自意識過剰か)。

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観音寺観音菩薩像写真(愛知県名古屋市中川区荒子町)


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住吉神社稲荷大明神像(岐阜県下呂市少ヶ野)

円空はこの木片をどう見ていたのだろう。完成されたお稲荷さんを拝見していると、木目(の使い方)といい、姿・カタチ・佇まいなど、それ以外のものにならずにこの姿になったのが、極々自然と思えてくるから不思議だ。この極々自然のために、どれほどの意識と集中が必要なのか、もしくは必要ではなく感覚として判る(もしくは告げられるのかも知れない)のか、随分と見とれてしまった。宮大工だったか彫刻家だったか忘れたけど、「木の性格を知るというのは勿論だが、木の成りたがっている姿に耳を傾けることが大事。何百年生きてきた木を、最後に触るのは自分なのだから、やり残してはいけないしやり過ぎてもいけない。」といったようなことを話していたのを思い出す。きっと円空もそういった部分を、無意識的に感じとる能力(感性)があったのだろう。円空の神仏像を見ていると、そう感じずにはいられない。円空作の像をこれほど沢山見られるところは少ないと思うので、是非とも足を運んで鑑賞して欲しい。

お土産屋さん兼陶芸体験コーナーで講師をしている陶芸家と、ひょんなことから話をさせてもらった。その辺のことは、長くなってきてしまったので、また次回書こうと思う。なかなか来ることがない地域なだけに、この合掌村をミサオが勧めてくれたことに感謝したい。下呂温泉だけではないことを、もう一度強調しておきたい。





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by Tashinchu | 2014-04-01 09:00 | Architecture | Comments(0)