音・岩・光

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16012017

「植村直己 極地の撮影術」展へ。

品川駅から徒歩10分弱のところにニコンミュージアムがある。新宿にはニコンプラザがあって、Nikonさんって(Canonもそうなんだろうけど)大手なんだなぁと思う。そのミュージアムの一角で植村さんの機材や作品が展示されていて、無料で入場できるのであれば行くしかないだろう。目当ては機材だったけれど、写真のもつエネルギーが凄くて1時間くらいそのエリアを行ったり来たりしていた。

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Nikon F2 Titanium Uemura Special(上写真)が作られた所以は、1976年の12,000Kmに及ぶ北極圏走破の際にカメラが駄目になってしまい、撮影が出来なかったことによると説明されていた。「役に立たなくなったカメラを犬達が運ぶのがかわいそうだった」という植村さんの思いを背に、Nikonが完成させたこのF2。一番の見所は、フィルムの巻上げ回転方向が通常のものと逆という仕様で、これは寒さによるフィルムの割れを防止するのに一役かっているようだ。カメラを正面からしか見られないので、その部分を見られないのが残念だったけれど。どんな風にくるくる回るのか見てみたい。

レンズは50mmF2と28mmF2.8。シリアルナンバーも確認できた。近しい番号の中古レンズが市場に出ていないだろうか。同じ日に製造された(であろう)レンズが手元にある所有感。ミーハーな私にはそれだけで充分なのでした。

もうひとつ、小さな仕様の変更点で気になったことがあったので、受付のスタッフに聞いてみると丁寧に対応してくれて、技術部なのか総務につないで確認を取ってくれた。変更点というのは、「フィルムカウンターの31以降を白字から赤字に変更」と説明されていた部分で、これがサッパリ判らなかった。36枚フィルムの場合36だけ赤字にすれば事足りると思うのだけれど、回答は「-50度では、フィルムを撮影可能な枚数の最後まで撮ってしまうと、フィルムが平らになってしまいそこから割れてきてしまうためうため、それを防止するため31枚目辺りでそろそろ撮影を終了して巻き上げてください、というのが判るように31以降は赤字にした」とのこと。

40枚撮りくらいの長さにフィルムをして通常の文字色にする方法も、きっと検討されたのでは思うけれど赤字が採用されているのだから、難しい面があったことが伺える。頭の中で思い浮かべてみたけれど、どの部分が千切れてきやすいのだろう。順巻きに変更された巻き上げ方向からして、フィルムパトローネ内のところなのかなと想像した。最後になればなるほどフィルムが巻かれたRはきつくなる訳で、それを-50度以下の極地で一旦伸ばして、また直ぐに巻き上げると切れてしまいそうな気がしないでもない。フィルム押さえローラーも増設されており、平面性を更に保つ改造が行なわれていたし、まぁ、もしかしたらテレンプのところから割けるのかも知れないけれど、あとあとになってこの疑問に当たったので、また質問しに行ってみようと思う。


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このアイディアは盗んでしまおう。こういう工夫は人を幸せにすると思う。先ずは溶接にも溶けない、しっかりとした小型雲台を探すことから始めないといけないのは、強化プラスチックやカーボンなどが蔓延する現在の市場がそうさせているような気がする。アルミと鉄は今の技術があれば溶接できるのかなぁ。アルミ雲台探しもいいけど、自作になるのか。。。

写真の下に見えている露出計。植村さんの写真が素晴らしかったのは、過酷な状況下でも適正露出がしっかりと出されていたことだろうか。露出計は2つ展示されていたことからもそれが伺える。自作雲台といい、植村さんはかなりのメカ好きだったのではないかと想像できる。無線機の展示でもそれをウンと妄想することができた。誰も居ない極地で、自分の名前の入ったスペシャル仕様のカメラに、自作の雲台付きプライヤーで撮影、なんて、そう考えると最高のロケーションと自撮り棒のコンビネーションじゃないですか!


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Tobogganに載った極地冒険の機材。なんだか嬉しかったのは経由地がバンクーバーだったこと。まぁそうなる訳なんだけど、Tim Hortonsキャンプ時代に、カナダ準州出身のJr.レンジャーがやってきたときにTobogganそりをチームプレーで製作したことや、その準州へオーロラを観に独り車を走らせたこと、カルガリー/バンクーバー間20時間往復弾丸五輪観光とか色々思い出して、思い立ったらとりあえずやってみるっていう感覚を、ずっと持ち続けたのが植村直己さんだったんだなと強く感じた。スケールは小さいけれど、若い頃にそういう風に、自分も思い立ったらって言うのをやっておいて良かったなぁとも思う。


残念ながら植村さんの撮影した写真は、撮影禁止だったので載せられないけれど、引き伸ばされたあの風景を見ていると冒険がしたくなるうずうずを絶対に感じられると思う。実家にあるであろう彼の手記をもう一度読み返してみたくなる時間だった。



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by Tashinchu | 2017-01-16 14:00 | Museum | Comments(0)

06012017

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そろそろ冬休みも終わっているはずなので、平日に行けば混み合うことはないだろうという目論見のもと、静岡市美術館で開催中のスタジオジブリレイアウト展へ。17時くらいに到着してそこから閉館の19時まで、たっぷり2時間弱を過ごした。読みは的中、1つのエリアに自分とあと数人くらいだけの静かな時間を満喫できた。いつも招待券をありがとうございます。

自分はいくつかの絵コンテ集を持っていて、そこに描かれている情報量を生み出すだけでも相当な時間を要していることは知っていたつもりだったけれど、絵コンテでまずストーリーができ、このレイアウトでアニメーションの動きが生み出されるらしく、絵コンテが全部を補完するものという位置づけではないようだ。つまり、作者は絵コンテで1回、このレイアウトでもう一度同じ場面を描くことにもなる。鈴木敏夫さんの話(ジブリ汗まみれの教科書ハウルの回)によると、宮さん(←彼は宮崎駿さんをそう呼ぶ)は1カット5秒前後の設定で描くんだそうで、それが約2時間前後の映画になる訳だから、単純計算で「7,200秒(120分)÷5秒=1,440カット」を絵コンテとレイアウトで2回描いていることになる(実際は2時間に抑えようとして描いているのではないけれど)。他にも、イメージボードに始まり、登場人物や背景に加え、色彩設定などもやっている訳だから監督の仕事は果てしない。同著者の「仕事道楽 新版」を今読んでいるけど、そこからも同じことを読み取れる。夢中になるのは素晴らしい。遊びだからという側面もあるのだろう。

展示されているレイアウト原画の右上に書かれていたカット表示は殆どの作品で1,000枚を超えており、見つけた中で最大だったのはもののけ姫で1669カットだった。ラピュタが1612、千と千尋が1379、ハウルが1378などなど、しかもこれらは最後のカット画ではないはずで、これ以上を描いていると推測できる。いやはや、7,200秒の道も1枚からとはいえ、このレイアウトの右上の数字だけでも頭が下がる思いで鑑賞は進んでいった。絵コンテ集にもカット数表示はあるんだけど、そういうことには頭が回らなかったなぁ、当時。実物をみて気付くことは沢山あるし、やっぱり本物を実際に見るのは大事なんだなと実感。


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イントロが終わってからの最初の展示は風の谷のナウシカ。ここで最初に感動したのは、レイアウト用紙の左上がTOP CRAFTになっていたことだろう。映画ナウシカを製作しようとしたものの、テレコムアニメーションフィルムに断られた(では出来なかった)んだよなぁ、なんてことを垣間見られたりして、まさにこの展示会の謳い文句である「レイアウトを読み解くと、アニメーションの動きが見える。」を体感した瞬間だったように思う。←レイアウト用紙からジブリアニメーションの変遷(動き)が見えた!という曲解です。

この制作会社の変遷は、何かの確認の為に押された印にも表れていて、ナウシカのレイアウト用紙には「株式会社トップクラフト」の捺印があり、その次のラピュタでは「(株)スタジオジブリ」の印に変わっているところでも確認できる。レイアウト用紙の左上は、ラピュタではSTUDIO GHIBLI変わっていることでも判る。レイアウトは語る、である。

本人が描いた絵や線以外の脇役の部分にも注目して見ていくのは楽しいんだけど、他の情報も見るので根気がいるし集中力が最後まで続かず、まだ見ていない風立ちぬ以降はネタバレが嫌でほぼ素通りしてしまった。とどめは千と千尋の神隠しのエリアだったように思う。それまでは普通の展示会のように、レイアウト画が横並びに10数点並んでいるのを見ていく感じだったのが、部屋全体に、しかも天井付近までレイアウトが何百枚も貼り出されているのを見たら意欲はプチンと切れてしまうものです、私の場合。説明書にも“1点1点ゆっくりご覧いただきますと2時間以上かかりますので、余力を残しつつご観覧ください。”と書いてあるのは後で気がづいた。。。


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一番グッときたのは、風の谷のナウシカのC880の線画だった。これは芸術作品だと思う。ナウシカの原作の為に7巻もの大作を描きあげ、それ以前、それ以降もずっと描き続けている宮崎駿さんは、ともすると地球全体を黒く塗り潰すことが出来るくらいの面積を鉛筆で引いているのではないかと思う。ジブリ以前には、青春を捧げたと本人が言っている高畑監督と、テレビアニメのハイジや母を訪ねて、赤毛のアン他などのレイアウトも全部自分でしているし、この2人と鈴木敏夫さんと関わることが出来た人達は沢山の影響や刺激を受けたんではないだろうかとか、そんなところにまで思いは飛躍していった。

その高畑勲さんのレイアウトも勿論展示されていて、火垂るの墓やおもひでぽろぽろの他に最新作のかぐや姫の物語(やはり素通り)などもあった。気付くのは宮崎さんと高畑さんの画角や目線の違いで、これは実際の映画を観ていてもわかるんだけど、その切り取られたイメージを何を意識して生成していくかによる差があるのではないかと思われる。展示されたレイアウトを見る限り、高畑さんはあまり顔のアップが見られないが、対照的に宮崎さんは人物を画面いっぱいに配したアップがあったりする。宮崎さんは登場人物にシンクロして描いていく人だと思うので、そういう部分でこのキャラクターを見て欲しい的な意識が働いているのではないかとも思われる。

高畑さんは風景の構成にうるさい感じの描き方がされているように思う。これは徹底したリアリズムであり完全主義がそうさせているはずだ。理論整然とした性格がそうさせているのかも知れない。うるさいというのは、嘘は許さないぞの裏返しという意味で、火垂るのレイアウトでは部屋の背景が克明に全て描かれたその後に、手前に来る人物を描くため、消しゴムで背景を消して人を配置した1枚があったところからも推測できる。縦横に水平・垂直基準線みたいなものが、上手く忍び込ませて描かれているレイアウトも数点あったり、高畑さんの写実は本物を描くんだという姿勢が見られるような印象を受けた。鈴木さんがこれを読んだらふーんってな具合にクスッとされるだろうけど。

宮崎さんはつまりはファンタジーなんだと思う。画角で言うと135mmフィルムで35mmくらいのことが多い。んだけど、これが曲者で、準広角なんだけど実際の見え方からするとパースがとにかく歪に働いていて、でもそれが違和感なく描きこまれている感じ。背景の被写体(例えば建物)がそのくらいの位置にあったときに、35mmではそんなに近くに見えるようにはならないけれどそうなる、と言ったような。逆に高畑さんの画角は35mmなら35mmの見え方、50mmなら50mmそのものといった具合で、写真を見ているようでもある。この辺の差をオリジナルのレイアウト用紙からチラ見できただけでも嬉しくて仕方がなかった。

ジブリ製作の映画だけではなく、TVアニメのレイアウトも後半戦で展示されていて、未来少年コナンや名探偵ホームズ、ルパン三世のレイアウトが見られたのも嬉しかった。ハイジのレイアウトが特に素晴らしかった。迷いのないほぼ一筆書きのハイジの表情を見ていると、ダリの素描をみていたときに感じたような、躍動感とエネルギーをそこに感じて、何か得体の知れないパワーをもらったような気になった。

だらだらと書いてしまったけど、まだまだ語りつくせないくらいの興味深い情報や感動を得た今回のレイアウト展。もう一度行けるなら音声案内をお供に、後半戦にも“余力を残して”鑑賞してみたい。




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by Tashinchu | 2017-01-06 17:00 | Museum | Comments(0)

14112016

今にも雨粒が落ちてきそうな月曜日ではあったものの、立川を出発してもまだ持ちこたえてくれている印象ではあった。もともとフリースを手に入れる手筈なので薄着で来ており、それを着込んで電車に乗っていると今度は汗ばむくらいで、今冬は大活躍してくれそうな予感がしながら、次のTo Doリストである21_21デザインサイトへ「デザインの解剖展」を見に進んだ。何度も訪れているこの会場は六本木にあるはずなのに、何故かこの日に限って銀座にあるもんだと思い込んでいて、到着してから銀座ということに気付いて悶々としてしまった。でも、来てしまったのであれば、次回以降に来ようと思っていたIt’s a SONY展へ行ってしまえば良いかということで、SONYビルへ。


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例え雨が降っていても、地下道からそのままビルへ接続できる



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このビデオテープは良く使っていたなぁ


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子供のころ使った記憶があるWALKMAN
実家のはベルトが切れてテープが回らない



入場無料なのが嬉しい。そして事前チェックで気になっていたSONY製品のガチャガチャ(カプセル玩具)もちゃんとあったけれど、既に当日の予定個数は販売完了ということで、きっと1人が何回も何回も回してしまったんだろうなと残念な気分になる。後日1人1回のルールが出来たそう。

SONYが電気炊飯器を、しかもおひつ型をした木製のものを作っていたことや、その他色々発見や懐古の情を呼び起こす展示が沢山あって、間違えて銀座まで来てしまったけれど結果All Rightな感じでビルを後にした。





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公共機関が発達しているなぁと思う都心部。車がなくても生活できてしまうけど、事故や停電をはじめ自然災害などが起きるととにかく脆いのも事実、などと考えながら六本木に到着。いつもながら、地下鉄から地上へ出てくると東西南北がさっぱり判らない、生物本能を滅多打ちにするあの気持ち悪さをここでも味わった。開発が多いことや都心にはあまり来ないこともあって、見慣れた風景なんてそこには無いんだけれど、とりあえず雨だけはまだ降っていないのを救いだと思うことにした。


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「Meiji きのこの山」のジオラマ
パッケージに描かれたものを遠近法などを照らし合わせて3次元に再現している
手前の林と家々・後ろの山との距離感があらわになっている



商品タイトルにあるフォントの「の」は、実は大きさが違うことを初めて知った。こんな風に、いくつかの商品をとにかく解剖しまくっている解剖展。きのこの山のスナック部分の焼き色の違いや、チョコへの刺さり(埋め込まれ)具合の統計をとってみたりと、様々な角度からそれぞれの商品を解剖していて、その視点の面白さもさることながら、めっぽうなくらいに文字が多く各々の商品解剖に説明ボードが30ほどもあって、全て読んだら小説1冊分以上に相当しそうなくらいだった。SONY展で時間を使っているので、時間が足りないことは最初のきのこの山エリアで直ぐに判ったので、また時間がウンとあるときに商品を持参して朝から挑んでみようと思う。




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紙パッケージとラッピングの仕様を輪切りの観点から展示
直径で2mくらいあり、実際にこれだけアイスがあったらかなり嬉しい





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こちらはブルガリアヨーグルトはスプーン何倍分か、またすくう量との関係を展示



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この文字量
これが各々の解剖で30本ほどそびえ立っている





他には、おいしい牛乳と明治のチョコレートなども解剖されていて、チョコを包んでいる銀紙の展開図と折り線が示されていたり、ここまで追求するかという勢いで見ごたえと読みごたえは充分だった。時間は充分ではないので、なんとか時間を作って再訪したいと思う。ひと通り見終わって会場を後にすると雨が降っていた。流石に雨もこんな時間までは待ってはくれなかったようで、天気予報どおりだった。

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by Tashinchu | 2016-11-14 13:00 | Museum | Comments(0)

26092016

地球を西に行くのと東に行くのでは、僕の場合西へ行く方が時差ボケの解消度は悪い、と感じる。北米から戻る、あるいは欧州へ行くのはちょっと大変で、そんなこともあって、帰国翌日は自らに活動を与えて時差を乗り切ろうと、前売りでチケットを購入しているし、国立新美術館で開催中のダリ展へ足を運んでみようかということに。膀胱薬のDARITENではない。六本木の美術館は月曜定休じゃないところが多いので助かる。21_21もそうで、10月中旬から開催される「デザインの解剖展」にも平日に行けるのが嬉しい。

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平日とはいうものの流石はTOKYO。会場には沢山の人が居て、前日に引き続き人酔いしそうな感じだった。入口は空いているように見えるけれど、これは閉館近くに撮ったもの。人が多いから企画展が出来るのは判るけど、もう少しじっくり作品を鑑賞、もしくは向き合うことが出来たら良いんだけどなぁ。そしてメモを取ると、すかさずスタッフのチェックが入るあの感じもいただけない。隣の男性がペンでメモをとっていたら「鉛筆で」だそうな。フィゲラスのダリ美術館は写真はOKだったし、スケッチもしてる人はいたし、子ども達が課外授業でワイワイやっていたし、ダリ本人も「もっと自由でいいから!」とか言ってそうな感じがした。

M+Mが大好きなダリなので、今回は奮発して2人とも音声ガイドをレンタル。ハッキリ言って借りなくても良かったと思います。説明にも書かれていることを読んでいるだけだったし、ガイドを借りないと知りえない作品の秘密とか背景を解説してくれるようなものではなかったので、今後行かれる方はご注意を。竹○直人さんの声が聞きたい!ということなら是非に。



内容は面白かった。今まで見たことがない作品を沢山みられたし、日本特有の時系列展示が、ダリの生涯をしっかりと捉えるためのヒントを与えてくれていたと思う。バルセロナとフィゲラスで見たダリの作品群は、極端に言えば偏りが多かったんだろうことも気付かされたし、逆に今回の展示はもう少し絵画以外の作品も(あったけど)数を増やしてあっても良かったんじゃないかとも思う。発信する方法もさまざま、受け取る側の捉え方もさまざまっちゅう感じだろう。他の芸術家の企画展もそうだけど、とかくパートナーとの関係にもスポットを当てたがるような展示方法は好きじゃぁあいなぁという感想も。そして20世紀は芸術家にとっても戦争の時代だったんだと、ピカソも他の多くの芸術家もしっかりと向き合っていたんだと感じた。



ダリというとシュルレアリズムを思う人が多いと思うけれど、僕の場合は素描が一番好きだ。溶けた時計やモナリザなどのモティーフは、構図も相まって一見すらすらと脈略もなく描かれているように見えるけれど、相当緻密に計算高く配置され描かれているので、見る側も力が入ってしまうのが一番にならない理由。けれど、鉛筆や黒炭で書かれたスケッチは、積み重ねられた経験と勉強がなせるものなんだけれど、自由に力に溢れた線と動きがあって、生きる力に満ち溢れてもいるので、ただ見ているだけでも楽しいし、じっくり見てもしっかり応えてくれるので2度美味しいから、ついついそちらの方に見入ってしまう。「少女の後姿」に描かれている気持ち悪いほどに繊密な髪の毛や、「子ども、女への壮大な記念碑」に乗った絵の具の盛り上がり方とか、そうそうこんな感じだったよね、これがダリだよね、と楽しんでいる自分も居たんだけれど。

その遊び心というか、自由な生に対する姿勢を大きく膨らませていったものが、シュルレアリズムの作品なんじゃないかなという気がしている。フィゲラスではそれを強く感じたし、こんかいのダリ展でも、企画側の展示意図は違うけれどそれを感じることが出来た。価値観の大きな変化とそれに対する葛藤・許容を経て、ブレない姿勢を保つのが一級の芸術家達はとにかく上手い。これが出来る人はなかなか居ないし、ネットが拡散して価値観のゲリラ豪雨を受けている現代人には、更にそれは難しいものになってるんじゃないかという気がしてくる。


芸術家はいつの時代にも、フォルムを捉え、それを幾何学的な要素へと還元すべく悪戦苦闘を重ねている。
(中略)
私の場合、それはサイの角だ。

って、卵じゃなかったんだ!?しかも卵はレオナルドなの!?というサプライズがあったり。いやはや、芸術家は判りません。




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出口へ行くために通らなければならない、悪魔マーラの御土産コーナー。今回もマーラの誘惑に負けて、厚さ2cm弱ある見開きA3大の作品集を購入。悪魔がさせたのではない。スペイン語は判らないけれど、日本語だと読めるしページを開く回数も増えるんじゃないかと、自分に言い聞かせております。帰りは大江戸線で睡眠欲のマーラに負けました。。。



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本場ダリ美術館にあったあの部屋(作品)の再現
これって階段を上がって覗き込む方式じゃなかったっけ?
また、スペインに行きたくなってきた!



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by Tashinchu | 2016-09-26 15:00 | Museum | Comments(0)

12082016

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帰静3日目。静岡市内の滞在を1日延ばして、静岡市美術館で開催中の「エッシャーの世界」展へ足を運ぶ。エッシャーと言えば上の写真(招待券ありがとうございます!)に載っている騙し絵のようなものを思い浮かべる人が多いと思う。実際一番知られた作品はそれなんだろうけど、僕の中ではこういう絵を描く人はかなり理数系でぶっとんでいると思っているので、それが本当かどうかを本展で確かめられるのではと期待していた。

お盆休みに入っていることもあり、ほぼ全ての作品の前に複数人が居て鑑賞している混雑状況だったのと、今回の目的は彼の生涯を時間軸に沿って追うことではなく“ぶっ飛び度”を量ることだったので、(勝手に命名すると)デアゴスティーニ式鑑賞法で周ることにした。これは、まぁ僕に限らずやっている人は多いと思うけれど、入口から順に周らずに一旦全てをチラ見して出口手前まで行ったあとに、気になる作品や関連のありそうな作品へ各々引き返して巡る方法。混んでいて次の作品を見られないとか、時間がないのでサクッと見たいとか言う場合に効果大でございます。


僕の予想は主観的な判断で言えば、当たっていたと言って良いだろう。騙し絵はただ描けば出来るようなものではないし緻密な計算の上に完成される訳で、彼の他の代表的な作品、例えば「昼と夜」や「婚姻の絆」などを見たときにも、その計算高いというか練りに練られた魂みたいなものが感じられた。「写像球体を持つ手」などは数学的な世界への真剣なアプローチと熱心で超絶なる集中力を見ることが出来て、終始ニヤリニヤリしながら開場を行ったり来たりする時間が続いた。そんな表情でウロウロしているからかスタッフさんの目にも留まったようで、最後の展示ブースではこの企画展に隠された秘密(というか嬉しいトリック)について探ってみては?なんて場面もあったりで、これを企画した学芸員さんも相当なニヤリ族なんだろうななんて想像した。

さて、チケットや告知ポスターを飾っている「滝」の前で気付いたことがある。この作品の前後には構想や下書きなどの滝に関連する資料・習作も展示されているのだけれど、習作のひとつには作品には2人(洗濯物を干す人と滝を見上げる人)だけではなく、3人目が描かれていた点である。滝を見上げる人の左隣に、彼とは反対の方角(作品的には右下方向)をバルコニーから見下ろすように男性と思しき人物が描かれていた。実際の作品からは消えていて、、、と思っていると、どうやら完成前に消されたような痕が残っているのに気付いた。上の写真をよく見ると薄っすらではあるもののその痕を見ることが出来ると思う。

洗濯物を干す人は見上げる人を、見上げる人は滝をそれぞれ見ているので、そういった作品内の人物の視線が示すものがもしかしたらあるんじゃないか?なんて、妄想は膨らむのであります。例えば、その消された第3人目が見下ろす先には洗濯物を干すひとに繋がっているとかね。滝は永久機関としてグルグル廻っている訳だし、何かそういう意図(糸)みたいなものが込められていたとしたら、これまた12ニヤリ進呈です。どうして消したんだろうなぁ。この知識欲に関して答えなりヒントを与えてくれる方、いたらコメントよろしくお願いします。


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何やら色々と写り込んでますが、いつものクリアファイルを購入して案内やチケットを入れ込んで展示廻りは終了。タイトルを忘れたけれど、これはエッシャーが平面の正則分割を突き詰めている時代の作品で、これも数学的に位置の移動や回転、すべり・鏡映を軸に描かれている。その基本的な解説を本人が作図によって示してくれている展示もあって、その作品は是非見て欲しいなと思う。去年アブダビ空港で興味を魅かれた、アラブのタイルモザイクをただ“見る”から“鑑賞する”ところへ持って行ってくれたに違いない訳で、もう少し前に知っていたらと思わずには居られない。

これは平面、つまりxとy軸の中での動きなんだけど、エッシャーが歳を重ねるにつれてxとyに加えてz軸の3次元での動きを加えた作品が登場してくるようになるのも、今回のエッシャーの世界展で是非是非体感してもらいたい部分。箍(たが)が外れたというか、ぶっ飛んでくることが良く判ると思う。ハロルド・スコット・マクドナルド・子セクターやブルーノ・エルンストといった数学・物理学者と交流があったことも年表から判るし、「バルコニー」という作品では、ブラックホールが実世界上に現れて目の前を通り過ぎていったときに見えるであろう世界が描かれていて、数学や物理にも精通しており理論天体物理学で浮かんだ映像を作品として描いていたんじゃないかとも思えてくる。というわけで、ブルーノ・エルンスト著の「エッシャーの宇宙」を購入してしまった。



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by Tashinchu | 2016-08-12 12:00 | Museum | Comments(0)

04072016

月曜休みの自分にとって、月曜定休でない美術館や博物館を探すのは至難の業で、あったとしても果たして興味を魅かれる展示が行われているかとなると、更にそれは大変なことになってしまう。前回「単位展」でここへ来たときには週末だったので、入場規制がかかっており20分くらい待ってから入場した記憶がある。今回はがらがら。じっくり作品を見、体感することが出来た。週末と平日ではここまで入場に違いがあるのか!?という感じでビックリだった。
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土木に関するデザインをアートの視点から切り込んでみようという企画展。「展」のフォントがザリガニかエビ、もしくはヤドカリのように見える。単位展のときとは違って展示数は少なかったけれど、直接触れるものや作品の中に入れるものが多く、しかも人も居なくて待たずに済んで、大満足の時間だった。特に魅かれたのは等高線・高度差グラフィックみたいなもので、以前ネット上で映像を見たことがあって、いつか触ってみたいと思っていたものが目の前にあるこの興奮。平日特権、パタゴニアのフィッツ・ロイでも再現してやろうかとおもったけれど、相手が砂ではプロテクションは取れませんね。。。でも、これは大人も子どもも楽しめるツールだなと是非表品化して欲しいと思ったのでありました。



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もうひとつは、ジオラマというか実物模型。何路線かが乗り入れている渋谷駅(新宿や池袋駅と違って上下に無計画なの?という風に広がっている)を模型として具現化してくれている、この男心をくすぐる展示にも心惹かれたのでありました。全体像を写すために結構後ろへ下がって撮っても人は写り込まないし、じっくり動線を観察できる至福の時間。もしこれを学校へ行く前に見られていたら、もう少しスマートにA to B出来たんじゃ無いかと思います。有楽町線から地上に上がってくる通学中の自分を、外から視覚的に眺める。こういうの好きな人は他にも居るんじゃないでしょうか。作りたくなりますねぇ。


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これは独りできて正解と思える企画展。ひとしきり楽しんだ後は、お土産屋さんでいつものファイルを購入して帰宅。銀座駅を具現化すべく、色々インプットしながら帰って見ることにしたけど、設計図やBlue Printがない状態から観察だけで模型を作り出すのは、相当の観察と時間と労力が掛かることをエスカレータを2つ下ったときに気付いたのでありました。静岡駅くらいから始めないと銀座駅は手ごわすぎます。




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by Tashinchu | 2016-07-04 15:30 | Museum | Comments(0)

25072015

CELADON NOW - Techniques and beauty Handed Down from Southern Song to Today.
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午前中はMisaoのおばあちゃんに会いに行って、そのあと静岡市美術館で開催中の青磁展を見に行った。

雨過天青雲破処の色を見ることが出来て幸せなひととき。

伝統的な青磁も良かったけれど、二重貫入(氷裂文とも言うらしい)の入った大皿が見事だった。
無造作に走っているのだろうけれど、それが幾重にも重なり止まりしているのを見ていると、
幾何学的な模様を見ているときに感じる興奮をもおぼえてくる。

琥珀色した青磁が、何故その色になるのかの詳しい説明もあって、またひとつ見方が増えたように思う。
酸素が不足している(還元焔)と青くなり、足りている(酸化焔)と黄色に窯変するとあったが、
ガスやアセチレンバーナーとは真逆の反応を見せていて面白く感じた。

小さな青磁をひとつ飾れるような、ゆとりと上品さを身につけたオトナに成りたいものだ。




雨の去ったあとではないけれど、この日の空もいい色をしていた。

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夜になると安倍川の花火大会が黒い空を色とりどりに染めていく。

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酸素のある・なしではなく、これは炎色反応。
ここ何年も線香花火をやった記憶が無い。尺玉は単発で、手持ち花火は線香にかぎる。

山の向こうに見え隠れする瞬光と、少し遅れてお腹を震わせる振動を楽しみつつ、
久々に歩いた静岡市街の変貌を思い出しては、時の流れを感じずにはいられなかった。

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by Tashinchu | 2015-07-25 13:30 | Museum | Comments(0)

02052015

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久しぶりに万葉1号へB/Wフィルムを装填し、50mm1.4と24mm2.8をくっつけて歩いた。向かったのは始まったばかりの鳥獣戯画展。鳥獣人物戯画と言ったほうがしっくり来る人もいるかも知れない。行き先を間違えてしまったので、到着すると既に入場まで80分待ちの案内が出ていた。大学の講義ほどもある待ち時間にやる気をなくしたので、野口英世像の脇で作戦会議をしつつ写真を撮っていたら、お昼近くになる。食事をとる人が出るだろうから待ち時間が減っているかも知れないと、正面門に戻ってみると案の定45分に短縮されていたので、すかさずチケットを購入して列に加わった。結局のところ作戦会議をしていた時間などを加味すると90分ほど待ったことになるのだろうけど、ただ待つのとベンチで座ってまったり過ごした90分では疲労度は段違いである。

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久々の24mm


天気も良く、5月祝日の初日ということもあって会場にはおびただしい人でごった返していた。お目当ての鳥獣戯画は一番最後に待機しているらしく、何とそれを見るにも20-30分も会場内で並ばなければならないそうな。側にある動物園のパンダを見るために並んだ(らしいが幼少で記憶に無い)だりと、上野は並ぶことが多いようだ。そして事前に調べていなかったのでビックリしたのだけれど、甲乙丙丁ある蒔絵の全てを1回で見ることは出来ないそうな。この企画展は前後期と分かれており、今回はそれぞれの蒔絵の半分を展示し、後期で残りの半分を公開するスケジュールをとっているらしい。こういうやり方は結構普通だけど、蒔絵の一番見たいシーンを鑑賞するには後期に来ないといけないのを会場で知ったショックは大きい。

肝心の鳥獣戯画を見た時間はトータルで15分ほどだろうか。兎に角混んでいたので、立ち止まらないで見なければならず、じっくり鑑賞には程遠いものだった。けれど、墨と筆の線はしっかり堪能できたし、あの1巻を失敗無く、しかも活き活きと仕上げる作者の腕には感嘆しきりだった。数箇所ミスったのだろうという部分も見えたけれど、迫力がそれを補って余りある感じで素晴らしいの一言。迷いの無い筆の動きは、ダリ美術館で見た彼のデッサンにも同じような感覚を思ったのを思い出す。当時は写真のような静止画など無かったはずで、どうやって筋肉の動きや登場する鳥獣たちの躍動感をこれほどに描けたの課不思議でならない。葛飾北斎の水滴の描写もそうだけど、昔の日本人は脳内写真のような特殊能力を持っていたのだろうか。そうであれば現代日本人は、かなり退化してしまったといわざるを得ないだろう。私の特にお気に入りは、牛の太ももの描写なので、もし足を運ぶことがあれば見て欲しい。

他にも、国宝の明恵上人像を生で見られたのには興奮した。リスの姿もバッチリ確認してニンマリである。また、獅子冠を身につけずしかも蓮華座や体・衣服が白くない珍しい仏眼曼荼羅も是非とも堪能して欲しい。国宝や重文の数も多く(人も待ち時間も多かったけど)、久々に文化的活動をしたこともあってリフレッシュというかリチャージ完了の1日になった。

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このアプリは面白い。中に収録された漢字ゲームは待ち時間にもってこい。






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by Tashinchu | 2015-05-02 11:00 | Museum | Comments(0)

04042015

あれくらい、それくらい、どれくらい?

日本はメトリックの国だろう。カナダにいた頃は、メトリックとインペリアルが入り乱れていて最初は大変だった。でもそのおかげでフィートとインチに対しての感覚が養われたのは間違いなく、クライミング中のホールド位置を説明するとき普通に「3インチ右上」とか言っていたし、ロープはあと何フィート残っているとかなども説明できていたのだから面白い。そういえばフライフィッシングのロッドもフィートだった。Misaoなんかは厨房にいたので、ガロンやポンドの感覚が備わっているに違いない。

ある特定の単位に対する感覚が開花していくときほどエキサイティングなことはない。

小学生低学年のときに竹製の定規を使って、初めて10cmの直線を引いたときのことを覚えているのは、多分それが関係しているように思う。それまでcmなんて知らなかったし、小1のときに手にとった本に書かれていた工作本の説明文に"2mmの隙間をあける"の2mmが判らないのは当然だった(2mmが長さであることを理解できていたかも今となっては疑わしい)。そこで僕は、その幅がどれくらいなのか父親に助けを求めたのだが、理解したのは「2mmの幅はお線香の幅くらい」というもので、mm単位を包括的に自分のものにした訳ではなく、1mmや8mm幅を親指と人差し指で作ることはむろん出来なかった。

それが今ではメトリックなら大体説明できるし、人から言われて(例えば:身長175cmってこれくらいとか)イメイジ出来るようになったのだから、単位の持つ力って凄いなと思ったりする。日本にも独自の単位(度量衡)があった。それで自分の身長と体重を表すと身長5尺5寸、体重15貫200匁になる。興味が沸いて調べたこのときに、初めて「尺とフィートがほぼ同じ」ことに気付いて一気に親近感が増したのも覚えている。こんな風に、単位だけでも沢山の話題が頭の中にあってストックされていることに、この「単位展」を訪れて再確認した。

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by Tashinchu | 2015-04-04 17:00 | Museum | Comments(0)

25102014

城を後にして到着した松本市美術館。松本市は軍事施設を標的とした大規模な空襲を受けていないらしく、古い建物がそのまま残っているので歩いていて飽きが来ない。その影響か、路地裏の道幅が車社会には少しばかり狭いようにも思われたが、それでも水路を道脇に残した町並みには都心に無い土も豊富で、木や草が快晴の空の下に活き活きと輝いていた。なるほど、草間彌生の名前はまるで、本人の好嫌は別として、そのまま松本を表しているかのようにも思えてくる。

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途中、草間バスを目撃。ナンバーは気付いたけれど、拡大してみてドットのひとつにAutographがあるのには驚いた。消えてしまわないのだろうか、それともプリントなのか。


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「幻の華」 2002年 1057×1830×1625cm G.R.C、ウレタン塗装

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こちらにも彼女のAutographが。出てくるコーラのラベルが気になる。



美術館には草間彌生の常設展があり、幼少期から現在まで多くのコレクションを有している。2012年には静岡でも大きな回顧展があったようで、友人のFB更新を見ながら羨ましい気持ちでいっぱいだったのを覚えている。という訳で、彼女の作品群は初めて見たけれど、これで世界と戦ってやるんだと言う強い意志が、既に子どもの頃から出来上がっていることを「母の肖像」を見て強く感じた。スポーツでも芸術家でも、一流はそういうことが小さい頃から意識出来ているのだろう。信念を曲げずに勝負するというか勝負せざるを得ない時代だったのかも知れないことも、後日ミサオが借りてきた彼女の回顧書+語録「水玉の履歴書」(集英社)を読んで想像した。その中で「芸術家が特に偉くぬきんでた人種なわけではない。」と語っているところも面白い。

浮かんできた(もしくは脳が捉えた)イメイジを消え去らない内に書き残す大切さも再確認する。自分は幼少期に色々と疑問を持論で解決することや妄想をし、自身の中でクククッと笑いながら楽しんでいた時期がある。とりわけ宇宙のことは正解がないと思っていたので、月と地球の関係であっったり星と時間の流れを、自分の作り出した物理法則(は今となっては成立しないだろう)に当てはめて遊んでいた。結局のところ、そういった自分が思考していた多くの事柄については全く思い出せないものばかりだが、そんな中にも、別の問題を解決する糸口であり新しいものを生み出すアイディアめいたものが在ったのではないかと思うことがある。メモを取らなかった(というかとる必要性すら感じていなかったのだが)ので、それらは全て脳の記憶神経細胞のどこかに鍵を掛けられて永遠に解き放たれることは無いのだろうけれど、メモはそういったものを召喚するキーなんだろうと思う。Aという何気ないメモが、Bを解決するに至ることもあれば、更にCという疑問を投げかけてくることもあるかも知れない。そういう、自分の中で思考を輪廻もしくは反芻させることが自分を成長させていくのではなかろうかと、常設展の途中に仕切られた鏡の部屋で10秒くらいの間に、ぶわぁっと沸いてきた。

まだまだ勉強が足りないけれど、知りたい欲は留まるところを知らないのでチャンスはあるのかも知れないと、少し勇気をもらった時間だった。草間作品というと水玉とカボチャというイメイジが沸くと思うが、僕としてはその鏡の部屋と「愛はとこしえ」が印象に残っている。






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by Tashinchu | 2014-10-25 12:00 | Museum | Comments(0)